「この時のために」——エステルの分岐点から、私の使命を考える

「この時のために」——エステルの分岐点から、私の使命を考える

ペルシャ帝国、紀元前5世紀ごろ。

一人のユダヤ人女性が、決断を迫られている。

王妃という立場を守り、沈黙を続けるか。それとも、命がけで王の前に進み出るか。

エステル記4章に登場するこの場面は、単なる古代の物語ではない。自分に与えられているものを、何のために使うのか——その問いが、2500年後の私たちにも届いてくる。

目次

二種類の「力の使い方」

エステル記の前半には、二人の人物が登場する。

アシュエロス王と、その家臣ハマン。

広大な帝国を治める王は、気に入らない王妃ワシュティを追い出す。気に入らなかったから。

ハマンは、自分に頭を下げないモルデカイを憎み、ユダヤ民族全体を滅ぼす計略を立てる。言うことを聞かなかったから。

二人に共通するのは、自分の持っている力を、自分の言うことを聞かせるために使うという生き方だ。気に入らないものは排除する。それによって自分の特別な立場を守り続ける。

エステルも、同じ選択肢の前に立つことになる。

「私だけ特別に」の誘惑

ユダヤ民族が滅ぼされる危機の中で、養父モルデカイはエステルに訴える。

「あなたは王の一番近くにいる。民族のために、救いを願い出てほしい。」

そのときエステルが直面した誘惑は、こういうものだった。

私はすでに、特別な立場を得ている。多くの女性の中から選ばれた。王妃という地位は、自分の努力と資質によって得たものだ。だから私だけは、この危機から守られてもいいはずだ。ユダヤ民族であることを明かさなければ、誰も気づかない。

これは、アシュエロスやハマンと構造的に同じ考え方だ。「自分だけ特別に守られる」「自分だけ特別に祝福される」——得たものは自分のためにある、という論理。

モルデカイの返事は、鋭い。

「あなたはすべてのユダヤ人から離れて宮廷にいるから助かるだろうと考えてはならない。」

そして、こう続ける。

「もしかすると、この時のためにあなたは王国に来たのかもしれない。」(エステル記4:14)

「この時のため」という言葉の重さ

この言葉を、単純な励ましとして読むと、届かない。

「あなたに使命がある、頑張れ」という話でも、「今いる場所に意味があるから感謝しなさい」という話でもない。

モルデカイが言っているのは、もっと具体的なことだ。

エステルに与えられていたもの——美しさ、王に認められる能力、王妃という立場、ユダヤ民族であるという素性——そのどれもが、エステル自身の「特別な地位の保護」のためにあったのではない。それらは、この瞬間のために備えられていたということだ。

言い換えれば、あなたに特別に与えられているものは、自分のためではなく、なすべきことのためにあるという転換だ。

エステルが決断するまで

エステルの答えは、迷いのない英雄的な宣言ではなかった。

「たとえ法令に背いても、私は王のところへ参ります。死ななければならないのでしたら、死にます。」(エステル記4:16)

この言葉の前に、エステルはモルデカイにこう頼んでいる。

「スサにいるユダヤ人を皆集めて、私のために断食してください。三日間、昼も夜も食べたり飲んだりしないで。私の侍女たちも同じようにします。」

彼女は「答えは明らかだからすぐ行きます」とは言わなかった。

葛藤があった。恐れがあった。戸惑いがあった。「本当はしたくない」という思いもあったはずだ。

だからこそ、彼女は一人で歩もうとしなかった。祈りを求めた。断食を求めた。使命を果たすことは、個人プレイではない——エステルの行動は、それを示している。

「死んでも本望」という言葉の意味

エステルの「死ななければならないのでしたら、死にます」という言葉は、捨て鉢な諦めではない。

この言葉が言えるのは、生きるべき命を生きているからだ、と私は思う。

逆に考えてみると見えてくる。

どんなに長く生きていても、本当になすべきことを避けて、意味もなく命が続いていくとしたら——それは、命を使っていることになるだろうか。

自分の使命を理解して、そこに歩みを置いている人にとって、たとえその途中で命が絶たれることがあっても、「それでも本望」と言える。逆に、使命に向かっていれば、命が続くことも「本望」。

どちらに転んでもよい——それは、生きるべき道に立っているから言える言葉だ。

「使命」とは「命を使う」と書く。何のために命を使うのか。

その問いに向き合うとき、エステルの言葉は他人事ではなくなってくる。

「あなたに特別に与えられているもの」とは

このメッセージを聞きながら、私は問い続けていた。

あなたに与えられているものは何か。時間、能力、人との繋がり、置かれている立場、積み重ねてきた経験——それらは、「自分だけ特別に守られる」ためにあるのか。それとも、この時に使うために備えられているものなのか。

エステルが持っていたのは、王妃という立場だった。それは、彼女自身の力で得たものでもあった。しかし、その立場は「自分を守るため」に使われるものではなかった。

あなたが今持っているもの——専門性、経験、言語、思考の力、誰かと関わる力——それが、今置かれている場所で、どのような意味を持つのか。

生涯をかけて、難しく考えなくてもいいかもしれない。今週、あなたに託されていることは何だろう。そのことを、しばらく心の中で問い続けてみてほしい。

最後に

エステルは、一人で決断したのではなかった。

人々の祈りに支えられながら、王の前に進み出た。その結果がどうなったかは、来週続けて見ていくことになる。

ただ一つ、今日確認できることがある。

与えられているものを、この時のために使う。

それは、命を捨てることではない。命を使い始めることだ。

あなたに特別に与えられているものを通して、なされようとしていることがある。そのことを見出し、受け止めていくために——今週、どうか一度、問いを持ち帰ってみてください。

エステル記2章・4章より

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次