substack-published– tag –
-
礼拝聖書メッセージ
「人が一人でいるのは良くない」は、弱さの話ではなかった
人に頼るのは弱さだと思って、助けを求める前に自分でなんとかしようとしてしまう人へ。 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あな... -
礼拝聖書メッセージ
自分で分からないのです|意味は後から来る
自分がいま何をしているのか、これに何の意味があるのか、分からないまま日々をこなしている人へ。 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるた... -
礼拝聖書メッセージ
羊飼いに最初に告げられた — ルカ2章の夜番
誰も見ていない時間に持ち場に立っているのに、その知らせや手柄は自分のところまで回ってこないと思っている人へ。 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを... -
礼拝聖書メッセージ
小さな幸せを積み上げても大きな幸せにならない理由を、貯金箱で考えてみる
毎日の楽しみをなんとかかき集めているのに、どこかで満ち足りないと感じている人へ。 淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。 あなたがたは知らないの... -
礼拝聖書メッセージ
教会の大きさと、満ちているということ|エペソ人への手紙1章22-23節
自分の群れの小ささが気になって、少し気落ちしている人へ。 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に... -
礼拝聖書メッセージ
へりくだりは自己卑下ではない──聖書が言う謙遜の意味
自分には人に渡せるものなど無いと思っていて、表に立つ人をうらやみながら、同時にうらやんでいる自分を恥じている人へ。 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。 それぞれ、自分のこと... -
礼拝聖書メッセージ
「信じられない」と言った人のところに、もう一度来た話(ヨハネ20:24-29)
信じられないと口に出してしまって、もう自分には信じる資格がないと思っている人へ。 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし... -
礼拝聖書メッセージ
「従える」から「仕える」へ――パウロのアイデンティティが変わった日
人をまとめたり教えたりする立場にいて、その役割が重くなってきた人へ。 人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。 その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。 (1コリント 4:1-2) この話の要点 自分... -
礼拝聖書メッセージ
創世記1章28節「地を従えよ」は支配のことなのか
任されていることが実際にはあるのに、自分は言われたことをこなしているだけだと感じている人へ。 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這う... -
礼拝聖書メッセージ
宴会で一番いい席に座ってきた人が、それでも満たされなかった話
指摘箇所の「なさい」は聖書引用ブロック内の一文のみで、引用の書き換え禁止と衝突するため変更していません。以下は全文(無変更)です。 人から認められることで自分の価値を確かめながら、それで満たされない感覚をどこかで持っている人へ。 兄弟たち...