スタートしたはずの何かが、どこかで断絶しています。
そんな感覚、ありませんか。
人に何かを与えてきた。それは本物だったと思います。
それでも、根っこのところで何かが切れているような——。
失敗した人間を、神は追いかけてきた
その感覚には、名前があります。
それは断絶です。
木の幹から離れた枝のような状態、とでも言えばいいでしょうか。
水は来ません。
でも枝の形は、まだあります。
動いているように見えるけれど、何かがもう通っていない。
ペテロも、そこにいました。
イエスを「知らない」と三度否定した夜から、時間が経っていました。
復活したイエスはそのペテロを放っておきませんでした。
海辺に炭火を囲み、静かに待っていました。
三度、同じ問いを繰り返した
「あなたは私を愛するか。」
一度ではありませんでした。
二度でもありませんでした。
ちょうど三度——裏切りの回数と同じだけ、問い続けました。
これは責めではなかったと思います。
「お前は三度も知らないと言った、覚えているか」という確認でもなかった。
断ち切れたものを、もう一度結び直そうとしている問いかけでした。
神は、失敗した人間を見捨てて静止しているのではありません。
むしろ、積極的に追いかけてきます。
逃げた方向に先回りして、炭火を囲んで待っています。
そういう、驚くほどアクティブな存在として、この場面は描かれています。
胸を張れなかった男の、一言
ペテロが返せた言葉は、ただ一つでした。
「あなたがご存知です。」
胸を張れる理由は何もありませんでした。
「はい、もちろん愛しています」とはとても言えなかった。
自分が愛していると言えるのか、そう言えるだけの資格が自分にあるのか、それすら怪しかった。
言語化できなかったのです。
完全な確信もありませんでした。
ただ、「あなたがご存知です」とだけ——。
自分の内側にあるものを、うまく言葉にできないまま、それでもイエスの前に差し出しました。
それだけでした。
そしてイエスはその一言を受け取りました。
「私の羊を飼いなさい。」
心もとない、ささやかな応答に、大きな使命が重ねられました。
整った言葉でも、完全な確信でも、胸を張れる実績でもなく——「あなたがご存知です」とだけ言えた人間に、次が託されたのです。
あなたは今、胸を張れますか。
あるいは、どこかで根っこのつながりが切れているような感覚の中にいますか。
もしそうだとしても、イエスはその場所を知っています。
根っこのつながりが断絶していると感じているそこに、イエスは問いかけてきます。
「あなたがご存知です」——それだけで、次が始まったのです。
AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】
ペテロって、すごく正直だと思うんですよね。
「愛しています」と言い切れなかった自分を、取り繕わなかった。
僕だったら、たぶん何か説明しようとしてしまう気がします。
「いや、あの時は状況が複雑で……」みたいに。
でも彼は「あなたがご存知です」とだけ言った。
それが一番正直な応答だったんだと思うと、少し楽になる感じがします。
今の自分の状態を、一番よく知っているのは——やっぱりイエスなんだろうなと、思います。
《参考礼拝メッセージ》
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