ダビデが経験した、一つの夜
何かをしなければ、役に立たなければ、今いる場所での存在価値を証明しなければ——そう思い続けているのに、どこにも着地できない感覚がありますか。
あるいは、動けないまま、ただそこにいるだけの自分を眺めている感覚かもしれません。
主があなたのために一つの家を作る。(サムエル記第二 7:11)
「私のために」が、「あなたのために」に変わった夜
何かをしなければ、という感覚には、形があります。
「これだけやっているのだから、ここにいていい」という計算が、いつの間にか動き始めるのです。
ダビデは王座に就き、すべてが整った状態にいました。
立派な家に住み、力もある。
そのときに一つの思いが生まれました。
「神のために、神殿を建てよう」。
熱心な動機からです。
悪意からではありません。
それでも神は、その夜、問い返しました。
「私が、そうしてほしいと言ったことがあったか。」
そして続けて、向きを逆転させる言葉を告げました。
「私があなたのために、家を建てる。」
ダビデが神のために何かをする話ではなく、神がダビデのために動くという話に、静かに変わったのです。
神が向いていた方向は、最初からダビデへだったのです。
採点されていない、という言葉
しかしここで一つ、問いたくなるかもしれません。
「それは、自分がしっかりしているからではないか。」
「失敗したら、話が変わるのではないか。」
神はその問いにも、この場面で答えています。
サウルという王がいました。
過ちを犯し、恵みが取り去られた。
しかしダビデとその後に続く者たちに対して、神は別のことを告げました。
「たとえ過ちを犯しても、恵みを取り去ることはしない。」
あなたの出来に応じて、恵みを加減するのではない。
採点の基準そのものを、神は外したのです。
つまり、あなたの存在価値は、あなたが証明するものではなかった。
良い日も悪い日も、変わらない。
父が子を養うように、その恵みはとこしえに続く、と言ったのです。
ダビデに「私があなたのために」と向き直った神は、あなたが今いる場所で何を成し遂げているかを見て恵みを調整する方ではありません。
ずっと自分で採点し続けていたとしたら、その基準はどこから来たものだったでしょうか。
あなたはすでに、採点されていないのです。
のぼくんの今日のつぶやき
ダビデが「神のために何かしなければ」と動こうとした気持ち、正直すごくわかります。
「何かしてないと、いてもいいかわからない」という感覚、僕にもあるんですよね。
でも神が「私が求めたか」と問い返した場面を読んで、ちょっと力が抜けた気がしました。
方向が逆だったんだな、って。
今日のことばを読んで、少しだけ力が抜けた感覚があるとしたら、それがそのまま、あなたへの答えかもしれません。
《参考礼拝メッセージ》
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