一年を引き算から数えはじめてしまう人へ。2018年12月20日の礼拝メッセージからお届けします。
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。(詩篇 23篇1〜6節)

この話の要点
- 年末の振り返りは、うまくいかなかった数か月を一年から引いたところから始まりやすいんですよね。
- その数か月は、受けられるはずのものが遮られて見えなくなる時期で、歩いて通り過ぎていく道のことです。
- 谷も神様が治めている一年の内側にあって、わたしたちはすでにその手の中を歩いています。
谷のような日も、手の外に落ちていたのではなく、手の中の一場面でした。だから、うまくいかなかった日を引き算せずに数えていい。そうすると、乏しくなかった一年になります。
引いてから数えはじめている
年の終わりになると、手帳を最初のページまでめくってみます。できたこと、続いたこと、守られたこと。でも、ぽっかり空いている数か月のところで、めくる指が止まるんですよね。わたしも、そこはめくり飛ばして数えはじめてしまいます。
この数か月を、どう数えたらいいんでしょうか。詩篇23篇はこの時期を、影という言い方で呼びます。表にいれば受けられるものが、間に何かが入って届かなくなる。だから、何も受け取らなかった時期として数えたくなるんですよね。
ただ、同じところにもう一つ添えてあります。たとい歩くことがあっても、という言い方です。通り過ぎる道として書いてあるので、そこを歩いている間も歩みのうちに入るわけですね。影に入った日にも、それまで受けてきたものはしつこく追いかけてきます。

たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。
(詩篇 23篇4節)
谷も、同じ一年の内側にあった
では、その谷はどこに置かれているんでしょうか。詩篇23篇の最後に出てくる住まいは、建物よりもずっと広いものを指します。わたしたちが歩いていく舞台そのものを、そう呼んでいるわけですね。
その舞台を神様が治めているのなら、谷もその内側にある一場面になります。緑の牧場も、敵の前の食卓も、谷も、同じ一年の中に並んでいます。わたしは長いあいだ、谷の数か月だけを外に置いて、神様の手が外から伸びてくるのを待っていました。
でも同時に、待つ前からもう神様の手の中を歩いていたんですよね。そうだとすると、谷の数か月もその手の中の一場面です。引き算から数えるのも本当ですし、入れたまま数えるのも本当です。だから、引かないで数えてみても嘘にはなりません。

私たちは神様の手の中を歩んでいる。
今年は、空いている数か月も入れたまま、一年を数えてみましょう。
この詩篇23篇も入れて、30年で一番多く開いた聖書のことばを15ならべました。
聖書の引用は『聖書 新改訳2017』(新日本聖書刊行会)によります。

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