前に進もうとして、川岸で足が止まっている自分を情けないと思っている人へ。
ヨシュアは翌朝早く起き、すべてのイスラエルの子らとともにシティムを旅立ち、ヨルダン川のところまで来て、それを渡る前にそこに泊まった。
三日後、つかさたちは宿営の中を巡り、
民に命じた。「あなたがたの神、主の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。
あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」
ヨシュアは民に言った。「あなたがたは自らを聖別しなさい。明日、主があなたがたのただ中で不思議を行われるから。」
ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい」と命じた。そこで彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って進んだ。(ヨシュア記 3:1-6)
この話の要点
「なぜ自分はまだここにいるんだろう」と思いながら、動けない時間が続いている。そんな経験、ありませんか。いよいよというタイミングで、不安と期待が入り乱れて、足がすくんでしまう。でも今日見ていくヨシュア記の場面は、そのぐるぐるした3日間に、はっきりとした意味があったことを伝えています。
足が止まっていた時間にも、ちゃんと意味がある。揺れながら川岸で待っていたその日々も、神の導きのストーリーの中にあった。
川岸の3日間は、信仰の失敗じゃなかった
イスラエルの民は、川のほとりで3日間、宿営していました。川の向こうはいよいよ約束の地です。でもそこには力の強い民がいる。40年前と何も変わっていない状況を、彼らはもう知っていました。
その3日間、いろんなことを考えたことでしょう。「やっぱり無理かもしれない」と思った人もいたはずです。「それでも神様が渡してくださる」と信仰を奮い立たせようとした人もいたでしょう。不安で、恐れで、躊躇で、思いが入り乱れながら、そこで止まっていた。
ここで「身を清めなさい」「心備えをしなさい」と言われます。神は「すぐに渡れ」とは言わなかった。その3日間は、信仰が足りない証拠だったのでしょうか。そうじゃないんですよね。神が用意した、心備えの時間だったんです。
足が止まっていることと、神に導かれていること。この2つは、矛盾しているわけじゃない。川岸で揺れていたその時間も、ストーリーの中にちゃんとあったんです。
「不安で恐れで躊躇で戸惑いでまたもう一度あのことが逆戻りしてしまうんじゃないかという思いやいやそれでも神様が導いてくださるんじゃないかという期待や入り乱れてその思いの中でとまってる本当に神様この私を導いてくださるんだろうか」
先に動いたのは、いつも神の側だった
さあ渡るぞ、と民が決意して川に飛び込んだ——そういう話じゃないんです。テキストをよく見ると、順番が違います。
先に動いたのは、契約の箱でした。それを担いだ祭司たちが、まだ流れている川の中に、一歩足を踏み入れた。その時に、上流で水が堰き止められて、乾いた地面が現れた。民が渡ったのは、その後です。民は「後をついていった」んですよね。
契約の箱の中には、マナと杖と契約の石の板がありました。40年の荒野で、神が民を養い続けてきた証です。その箱が、民の前を進んでいった。自分たちの力や計画で渡れたわけじゃない。神の導きが先にあって、民はその後をついていくことができた。
「全地の主の契約の箱があなた方の先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている」——この一文に、ストーリーの核心があります。先を行くのは神だった。これは、あの時代だけの話じゃないんです。
「それでも彼らは一歩そこに足を踏み入れる。その時に水は上流で流れが堰き止められて立ってそれが止まって水は全部下流の方に流れるだけ流れきってそこに水の下にあった元々水の下にあった地面が乾いて見えるようになり、そこを民が自分たちの足で踏みゆき進んでいくことになります」
今日、足が止まっている場面を1つ思い出して、「これは準備の時間かもしれない」と自分に言ってみてください。
AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】
渡る前に揺れてていいんですね。揺れながら待ってたのも、ちゃんとストーリーの中にあったんだ。
参照元の礼拝メッセージ
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