噂で聞いていた神を、この目で見た

噂で聞いていた神を、この目で見た

十分に知っているつもりでいたものが、何かを失ったとき、突然遠く見えるような夜があります。

「あなたの噂を耳で聴いていました。しかし今、この目であなたを見ました。」
ヨブ記42章

目次

知っているつもりでいたものが、遠くなった夜に

十分に知っているつもりでいたものが、あるとき白紙に戻る経験があります。
それは「間違っていた」ということとは少し違います。
ただ、「もっと先があった」と気づく、あの感覚です。

70年間、知っているつもりでいた

ヨブは70年間、神を恐れ、正しく歩みました。
「こんな人はいない」と言われるほどの信仰を持っていました。
嘆きの言葉を口にすることも、神を呪うことも、しませんでした。
それほどの人が、嵐の中で神に語りかけられた後、こう言いました。
「私は今まで、あなたの噂を耳で聴いていた」と。

「噂」という言葉が気になります。
ヨブが間違ったことを信じていたのではありません。
彼の信仰は本物でした。
それでも彼は、その70年間の歩みを振り返って、「噂」という言葉を選んだのです。

「聞いていた」と「見た」の間にあるもの

「噂を耳で聴いていた」というヨブの言葉には、ヘブル語の原文で興味深い響きがあります。
それは誰かを通じて届いた知識です。
間接的に伝わってきた光、という意味合いを持っています。
正確ではあっても、直接ではない。
誰かから聞いた神の話を、自分の言葉で語ってきた。
そのことに、今夜初めて気づく人がいるかもしれません。
本物であっても、顔と顔を合わせてはいない。

70年間誠実に歩んできたヨブが「噂」と言ったように、あなたが今夜感じているその距離感は、不信仰の証拠ではありません。

「しかし今、この目であなたを見ました。」

ヨブがそう言えたのは、答えが与えられた後の晴れた朝ではありませんでした。
嵐がまだ止まぬ中で、神に直接語りかけられたその瞬間でした。
暗闇の中で初めて、間接の光ではなく、顔そのものに照らされた、と彼は言ったのです。

この目で見た。

のぼくんの今日のつぶやき

ヨブが「噂で聞いていた」と言ったとき、正直、少し胸が痛くなりました。
70年間、誠実に歩んできた人が、それでも「噂に過ぎなかった」と言いました。
でも、これは責められているのではなくて、もっと深いところへ招かれているんだ、と受け取れる気がします。
「知っていた」の先に、「見た」がある。
その暗闇の中で、神は遠くから見ていたのではなかった。
今夜、あなたはどこにいますか。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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