聖書の名言、と検索されることについて|30年で一番多く開いた15のことば

聖書の名言、と検索されることについて|30年で一番多く開いた15のことば

ちょっとだけ驚きました。

一般の人にとって
聖書ってどうよ?と思って
いろいろ調べていたのですが

結局、関心の高いのは
「聖書の名言」みたいです
このキーワードで検索する人が1,600人/月

名言かぁ…

牧師としては
うーん、と思うところがあります

一箇所だけ切り抜いて
「ありがたい言葉だよね」と
消費されるのはちょっと残念です

聖書の言葉には
それぞれストーリー、文脈があります

それがわかると
「あぁ、私と同じだ!」と
納得感が生まれ、もっと刺さる
単なる「ありがたい」以上になるはず

とはいえ
「聖書 名言」で
検索する気持ちも分かります

私も入院している方に手紙を書くときとか
「聖書 寂しいとき」とか検索しますからね

そんなわけで
わたしがよく開く
聖書の言葉を並べてみました

ただし有名な順ではありません
それなら、もっと立派なサイトがあります

このリストは30年の牧会で実際に多く開いた順です

目次

心に響く聖書の言葉を、開いた順に

1. その名はインマヌエルと呼ばれる

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

(マタイの福音書 1章23節)

孤独なときや
試練のときとか
慰めのことばが安易だなと思うとき
「インマヌエル=神がともにおられる」

天高く、大きな神が
この小さな私たちとともにおられる
その深遠さ、ありえなさが心の慰めです

→ 「その名はインマヌエルと呼ばれる」マタイの福音書1章23節(7分の音声)

2. すべてのことがともに働いて益となる

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

(ローマ人への手紙 8章28節)

先の見えないとき
希望が持てないとき
「すべてのことが働いて益となる」

もちろんわたしも
「どうやって」という部分は
予想もできないし、わかりません
それでも委ねられる拠り所になっています

→ 言葉にならなかった願いを、神は受け取っている

3. 主は私の羊飼い

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

(詩篇 23篇1節)

お見舞いに行って
祈りながらお伝えします
「ここに憩いがあるように」

よく「いつくしみ深き」も歌います
誰よりも近くにおられる、友なる神を示すためです

→ 死の陰の谷は、一年の外にあったのか|詩篇23篇を年末に読む

4. 神は世を愛された

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

(ヨハネの福音書 3章16節)

失敗したとき
自己嫌悪に悩むとき
「神はこれほどまでにあなたを愛している」

聖書の中の聖書と言われます
ひとり子という犠牲を惜しまないほど
大きな愛の中にわたしたちは招かれています

→ ボロボロでも、神が手にとってくれる

5. 人がひとりでいるのは良くない

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」

(創世記 2章18節)

人間関係に疲れたとき
なんで私だけ損するのかと思うとき
「自分ひとりで生きているのではない」

神が人間をデザインしたとき
人と人とが力を合わせ、寄り添いあって
共に生きるように家族、共同体ができました

金八先生より先に
聖書がそう書いていました

→ 礼拝メッセージ「尊厳ある人間の姿」(34分の音声)

6. 見ないで信じる人たちは幸いです

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

(ヨハネの福音書 20章29節)

不安でいっぱいなとき
神を信じることができないとき
それでも「信じる者は幸いである」

信じる幸い
私の名前「信幸」の由来はここです

正直に言うと
信じるって何なんだろう?
わたしも、しょっちゅう思っています

→ 「見ずに信じるものは幸いです」(ヨハネ20:29)(5分の音声)

7. 仕えられるためではなく仕えるため

人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。

(マルコの福音書 10章45節)

人生の目的を見失ったとき
真面目にやるのが馬鹿らしくなったとき
「キリストの目的は、私たちに仕えるため」

決して真似ることはできないけれど
キリストの来られた目的はわたしたちの模範です

8. キリストは、神の御姿であられる方なのに

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず

(ピリピ人への手紙 2章6節)

勝手な自分に嫌気がさすとき
人と比較ばかりしてしまうとき
自分の「あり方さえ横におくことができる」

神が神でなくなるとか
十字架で処刑されるとか
本当に絶対無理なんですけど
神も、キリストもそれをよしとされました

→ 礼拝メッセージ「偉大な先駆者にならって」(約30分の音声)

9. 教会はキリストの満ちておられるところ

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

(エペソ人への手紙 1章23節)

教会につまずいたとき
教会の将来を考えるとき
「教会に託されているものは大きい」

教会は
神がご自身の存在を明らかにすべく
この世に使命を託して置いた共同体です
他とは比べることのできない意味を持ちます

→ 礼拝メッセージ「どのように生きるのか」エペソ人への手紙1章15-23節(32分の音声)

10. 心にシオンへの大路のある人

なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり 心の中にシオンへの大路のある人は。

(詩篇 84篇5節)

うつむきがちなとき
自分の殻に閉じこもるとき
「神と直につながる関係に招かれている」

出来の良し悪しに関わらず
神との関係に招かれています
太いパイプを思い起こさせてくれます

11. 私は山に向かって目を上げる

私は山に向かって目を上げる。 私の助けは どこから来るのか。

(詩篇 121篇1節)

途方にくれるとき
自分の無力さを痛感したとき
「わたしの助けは主なる神からくる」

よく開くけど、いつも迷います
見上げる山は大きな困難としてだっけ?
それとも大きな助けの来る所としてだっけ?
助けは主から来るという結論は同じですけどね

12. わたしが示す地へ行きなさい

主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。

(創世記 12章1節)

進路の選択に悩むとき
先行きが見えなくて不安なとき
まず「わたしが示す地へ行きなさい」

慣れ親しんだ環境から離れるのは
口で言うほど簡単なことではありません
でも、神がもたらす新しい、知らない現実は
想像を超えるものらしいので信頼するしかありません

→ 何もわからないまま、それでも歩き出した人がいた

13. 父よ、彼らをお赦しください

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。

(ルカの福音書 23章34節)

自責感が強くなるとき
過ちを犯してしまったとき
キリストが「お赦しください」と言ってくださる

罪の性質は根深く
思いがけないとき、形で
目に見える過ちになって出てきます
キリストはその罪の赦しを一度きりの十字架で実現しました

→ 十字架上のイエス・キリストのことば「父よ。彼らをお赦しください」(7分の音声)

14. キリストが私のうちに生きておられる

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

(ガラテヤ人への手紙 2章20節)

自分が情けないとき
新しいことを始めるとき
「もはや私が生きているのではない」

わたしは変わらない
残念だけれど毎回痛感します
そんなわたしの内にキリストが生きておられます

→ 「それはあかん」ガラテヤ人への手紙2章15-21節(29分の音声)

15. あなたがたのために救い主がお生まれになりました

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

(ルカの福音書 2章11節)

孤独なクリスマスに
自分なんてと思うとき
救い主は「あなたがたのために」

特別さは何もない
誰からも見向きもされない
でも、神はわたしたちに目をとめて
愛を込めて救い主を送ってくださいました

→ 成長メッセージ「救い主の誕生」(27分の音声)


並べてみて、思ったこと

15本を書き出して
あらためて思いました
「有名な聖句がけっこう抜けてる」

かわりに
ずいぶん渋い聖書のことばが入っています

これは有名な聖句の一覧や
心に残るいい言葉の一覧ではなく
実際に必要とされてきた言葉の一覧です

一筋縄ではいかない現実の中で
それでもやっていくための支えとなるものです

自分も助けられてきましたし
これまで関わってきた方々にも
わずかかもしれませんが助けになってきました

これからも
誰かの助けになればと願って
発信を続けていくことにします


聖書の引用は『聖書 新改訳2017』(新日本聖書刊行会)によります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。

目次