毎日、誰かのために動いている。
気づいたら、自分の気持ちを言葉にする暇がなかった——
そんな日々を送っているあなたへ。
「祈ろうとしても、何を祈ればいいかわからない」と感じたことはありますか。
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます
(ローマ人への手紙8章26節)
言葉にならなくても、届いている
「神に祈ろう」と思う。
でも、何から話せばいいかわからない。
疲れているのか、悲しいのか、怒っているのか。
感情に名前もつけられないまま、夜が深くなる。
そういう経験はありませんか。
聖書はこう言います。
御霊が「言いようもない深いうめきによって」取りなしてくださる、と。
「取りなす」というのは、二人の間に立つことです。
あなたと神のあいだに立って、あなたのうめきを神のもとに届け、神の御業をあなたのもとに運んでくる。
それを御霊がしてくださる、というのです。
つまり、言葉にならなくていい。
整った祈りでなくていい。
うめきそのものが、すでに届いている。
一人で走っているように見えて、そうじゃない
駅伝を思い浮かべてみてください。
走るのは選手一人。
誰も代わりに足を動かしてはくれません。
でも、一人ではありません。
コーチが声をかけ続け、給水所では並走するサポートの人が水を手渡す。
走りながら、受け取っている。
あなたの毎日もそうかもしれません。
誰かの体調を確認して、笑顔を作って出かけて、帰ってまた誰かの様子を見る。
走っているのは自分だけ、という感覚がある。
でも聖書は言います。
御霊が傍に立って、あなたのうめきを神に届けている、と。
神のうめきは、あなたのうめきより深い
ここで少し驚くことがあります。
私たちのうめきは本物です。小さくない。
でも御霊は、それより「さらに深い」うめきで取りなしてくださる、と聖書は言うのです。
私たちがうめくのは、自分の見える範囲のことについてです。
夫の次の検査のこと。
誰にも言えない疲れのこと。
もう会えない人のこと。
でも神は、それ以上のことを視野に入れています。
あなたの周りにいるすべての人のこと。
あなたが気づいていない事柄のこと。
そのすべてが本来の形を取り戻すために、神は深くうめいている。
あなたのうめきは、神のうめきの中に包まれている。
言葉にならなかったあの夜の願いも、名前のつかなかった悲しみも、押し込んだまま眠りについた夜も——
全部、受け取られていた。
誰にも気づかれなかった苦しみを、神は知っていました。
あなたが言葉にできなかった分まで、御霊が届けていた。
それが、今日の聖書が伝えていることです。
考えてみましょう
言葉にならないまま押し込んできた思いが、あなたの中にあるとしたら——
それはどんなうめきでしょうか。
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