自分の歩みが小さすぎて、神に導かれているなんて実感できない、そんな人へ。
彼らに言った。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。
あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。
私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。(ヨシュア記 2:9-11)
この話の要点
「導かれているなら、もっと意味が分かるはずだ」——そう思ったことはないでしょうか。自分の歩みが小さく見えて、何も変わっていないように感じる。その現在地から、この話は始まります。見えていないことと、意味がないことは、別の話なんですよね。

自分の歩みの意味は、経験している最中には見えないことがある。でもそれは意味がないのではなく、見えていないだけだ。見えない舞台裏にも、意味がある。
スパイたちが知らなかったこと
40年前、イスラエルのスパイたちは自分たちのことを「イナゴのようだ」と思っていました。あの背の高い民には到底かなわない。自分たちはそう見えているに違いない。それが彼らの知っていたことでした。
でも同時に、彼らが知らなかったことがありました。エリコの民は、すでに震えていたんです。神様が海を分け、立ちはだかる王たちを退けたと聞いて、もう誰にも勇気がなくなっていた。「あなた方のことで恐れおののいている」——そうラハブは言います。
スパイたちはそれを知らなかった。経験の内側からは、見えなかったんですよね。自分たちがイナゴのように思っていたその同じ時間に、舞台裏ではまったく別の現実が動いていた。
写真で言えば、こういうことです。川の中でバシャバシャと水しぶきを上げている、あの撮影現場です。その場にいる人には、仕上がりの美しさは見えない。でも、写真はもうそこに生まれつつある。
「彼らはエリコの民がまさか自分たちを恐れているだなんてことは知らなかった。私たちはイナゴのように思ったし彼らもそう思っているに違いないって、これが彼らが知っていたことだったんです。」
ラハブが知らなかったこと
ラハブが動いた理由は、シンプルでした。家族を守りたかった。それだけです。よそから来た2人を屋上の亜麻の茎の中に隠して、王の使いの前に自分が立った。できる限りのことをした。それが全部でした。
でも彼女は知らなかった。自分がしたことが、40年の荒野の放浪に区切りをつける証言になっているとは、思ってもいなかったはずです。2人のスパイが戻って「攻め入りましょう、神が私たちにそれを与えておられる」と言える根拠になる——まさかそんなことを担っているとは。
家族を守りたい、という小さな動機が、神の手の中でずっと大きな意味を帯びていた。ラハブはそれを後から知ることになります。でも、行動した時には知らなかった。知らないまま、できることをした。
それだけで、十分だったんですよね。
「まさか40年来の事柄の答えとしてこの2人の人が戻っていって、攻め入りましょう神が私たちにそれを与えておられる、その根拠になることを自分が証言した。40年の荒野の放浪に区切りをつける、そのところを自分が担うとはまさか思っていなかったことでしょう。」
今日、自分にできる限りのことをひとつだけやってみてください——その意味は、まだ知らなくていいです。
AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】
見えないから意味がない、じゃないんですね。見えていないだけで、舞台裏はもう動いているんだ。
参照元の礼拝メッセージ
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