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礼拝メッセージ
御言葉という鏡の前に、もう一度
何とかしなければという焦りの中で、本来の自分の姿をいつの間にか忘れてしまっていないでしょうか。ヤコブ1章の「鏡」という言葉から、御言葉の前に立ち続けることが自分が何者かを映し出していくことを、一緒に考えます。 -
礼拝メッセージ
荒地に置かれたことは、失敗ではない
荒地に置かれたとき、私たちはそれを失敗や間違いの証拠だと思いがちです。しかしヤコブの手紙が語る試練の意味は、そうではありませんでした。「あなただからこそ」と置かれた場所で、旗を掲げたまま立ち続けることの深さを、聖書の言葉から静かに読み解きます。 -
礼拝メッセージ
15年止まっていた場所に、若枝が与えられた
正しく続けているのに、何かが積み上がっていかない。その無力感は、努力が足りないサインではないかもしれない。15年間止まったままだった場所に、神が「若枝」を与えたというゼカリアの言葉は、あなたが握りしめてきたものの先に、すでに細い緑が出ていることを静かに告げている。 -
礼拝メッセージ
今いる場所で、向き直す
16年分の事情を持ちながら、神は過去の正否を問わず「今どちらを向いているか」だけを問うてきます。ゼカリアの「帰れ」という言葉が断罪でなく招待である理由と、立ち返りが新しい場所への出発ではなく本来の向きへの問い直しであることを、今日のメッセージから受け取ってください。 -
礼拝メッセージ
足が動かないまま、それでも一歩は始まっていた
足が動かない、焦りだけが積もっていく——そんな不安を抱えたまま夜を過ごすことが、あなたにもあるでしょうか。聖書の中のヨシュアも、望んで先頭に立ったわけではありませんでした。それでも神は「見放さない、手を緩めない」と道の途中に約束された。結果が見えなくても、今その場所に神はいてくださいます。 -
礼拝メッセージ
心の最も深い部屋まで、神の言葉はもう届いている
誰にも言えないまま沈んでいく言葉が、あなたの心の奥にたまっていく夜がある。そんな夜、自分の存在価値を問いたくなることはないでしょうか。聖書は、心の最も深い部屋まで神はすでに知っておられると語ります。あなたがまるごと見られているということの意味を、一緒に受け取ってください。 -
礼拝メッセージ
薪割りも水汲みも、同じ問いの前に立っていた
申命記29章には、長老から薪割り・水汲みの者まで、立場も役割も違う全員が同じ問いの前に立たされた場面があります。積み重ねてきた選択を「召し」と呼べるとき、その根拠は何でしょうか。正しくやってきた確信の奥に、「何を求めて選んだか」という問いが静かに待っています。 -
礼拝メッセージ
頂まで来た。渡るという決断は、別のことだった。
積み上げてきたものがある。ビジョンも見えている。それなのに「渡る」という決断の一歩の前で止まってしまう——その感覚には、弱さ以外の理由があるかもしれません。120歳のモーセが山の頂から約束の地を見渡しながら渡れなかった場面に、現代を生きる私たちの問いが静かに重なります。 -
礼拝メッセージ
一日を終えたとき、それはちゃんと数えられている
「使命を果たせたのか」という問いが、夜になるほど静かに深くなることがある。パウロは死を前に、「注ぎの供え物」という言葉で自らの生涯を語った。主役でも中心でもなく、添えられる側にいた者の確信。表舞台に立てなかった日々も、誰にも言えなかった祈りも、ちゃんと数えられているとしたら。 -
礼拝メッセージ
知っている、という一点——牢の中からパウロが書いた言葉
正しく歩んできたはずなのに、その先に重さが来た——そんなとき、人は静かに半分の力になっていく。牢の中からパウロが書いた言葉は、状況が変わったからではなく、「信じた方をよく知っている」という一点だけで恥じないでいられた召しの人の言葉だった。あなたの足元に、その「知っている」はまだあるか。