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礼拝メッセージ
何もできないまま、そこにいた夜のことを
何もできないまま、ただそこにいるだけの夜がある。手が届かない、動けない、その無力感を聖書はすでに知っていた。神の民もまた、光も理由も見えない闇の中をただ歩いていた。でも、捨て置かれていたのではなかった。何もできなかったその場所に向けて、神の熱心はすでに動いていたのだと、イザヤ書は静かに語る。 -
礼拝メッセージ
接ぎ木されたばかりの枝は、まだ実をつけない
誰かの喜びを聞いたとき、「良かったね」と思いながら、なぜか心のどこかが曇る——その嫉妬に似た気持ちを、聖書は責めない。接ぎ木されたばかりの枝がすぐに実をつけないように、愛もまた時間の中でなじんでいくものだと、この記事は伝えている。 -
礼拝メッセージ
爪の一枚まで、あなたはそこに置かれている
「自分はまだここにいていいのだろうか」——そんな問いが静かに浮かぶ夜があります。パウロは、爪の一枚まで体に欠かせない器官だと言いました。生きる意味は外から貼り付けられるものではなく、神があなたをその体にはめ込んだ、その事実の中にすでにあります。 -
礼拝メッセージ
切られて、押し当てられた——内側で、静かに決まっていくこと
「これでよかったのか分からない」——そんな夜が、あなたにもありませんか。ローマ11章の接ぎ木の場面が静かに語りかけます。切られた枝には行き先が見えない。でも内側では、神の導きによって何かがすでに決まっていく。あなたのあの夜も、無駄ではなかったのかもしれません。 -
礼拝メッセージ
噂で聞いていた神を、この目で見た
ヨブは70年間、誠実に神を信じて歩んだ人でした。それでも彼は「あなたの噂を耳で聴いていた」と言いました。信仰があっても、孤独な夜に神が遠く感じられるのは、不信仰ではないのかもしれません。暗闇の中で初めて「この目で見た」と言えたヨブの言葉が、今夜の長さの中にいるあなたに届きますように。 -
礼拝メッセージ
「私だけが逃れて」が、四度続いた日
理不尽な喪失が四度、立て続けに重なった日があった。ヨブという人物は、持てるものをことごとく失いながら、それでも名前だけは変わらなかった。財産でも肩書きでもなく、名前で呼ばれ続けたことの意味を、ヨブ記の最初の場面から読み解いていく。 -
礼拝メッセージ
力が湧かないとき——あなたの内に、今も吹き込まれている
正しくやり続けているのに、どうしてこんなに疲れているのだろう——そう感じたことがある人へ。命は積み上げるものではなく、すでに内側に吹き込まれているという聖書の視点が、あなたの疲れの根っこにそっと触れるかもしれません。 -
礼拝メッセージ
「一応」のない場所で、あなたは生かされています
誰にも言えないまま一人で抱えてきた夜、その孤独な時間にもキリストはいてくださった——聖書はそう語ります。「十分かどうか」と揺れる夜ごとの問いも、声にできなかった重さも、神には全部見えていました。あなたの歩みの完成度ではなく、神が先になしてくださった確かな「共に」の中に、あなたはすでに置かれています。 -
礼拝メッセージ
正しくあろうとした、その先で
正しくあろうとするほど疲れていくのは、正しさが足りないからではなく、順番が逆になっているからかもしれません。聖書は「ふさわしくなってから」とは書いていません。孤独の中で正しさを積み上げようとしてきた人に、すでに始まっていた関係の話を届けます。 -
礼拝メッセージ
倒れた人のそばに、神は来た
頑張っても動けなかったとき、「自分がダメだという証明だ」という感覚が夜ごと戻ってくることがある。聖書が語る救いは、動けた人だけに与えられるものではない。荒野に倒れたエリヤのそばに神は来て、責めるのでなく食べ物をそっと置いた。その記録が、今の自分に何を語るか。