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祈りながら、見守りながら、できることをしながら。それでも「なぜこんなに大変なことが続くのか」と思う瞬間はありませんか。他の人はもっと楽そうなのに、と感じる時、あなたは何を支えにして立っているのでしょう。
聖書箇所
「神に聞き従うより、あなた方に聞き従う方が神の前に正しいかどうか、判断してください」
使徒の働き 4:19
肩書きも学歴もない二人が、なぜ怖くなかったのか
評価される人が力を持つ。地位がある人が正しいとされる。この世界の常識はだいたいそんなふうにできています。
ところが使徒の働きに登場するペテロとヨハネは、そのどちらも持っていませんでした。聖書は13節でこう記しています。「無学な普通の人」。裕福な家の出でもなく、厳格な教育を受けたわけでもない。それが当時の権力者たちから見た、この二人の評価でした。
その二人を尋問したのは、社会の頂点にいた人たちです。祭司、大祭司、そしてサドカイ人と呼ばれる人々。サドカイ人とはどんな人たちだったか。裕福で、子どもたちの将来まで約束されていて、社会的な地位を何代にもわたって守ってきた人たちです。彼らには「この世の歩みがすべて」という信念がありました。そしてその信念を支えるだけの、豊かな現実がありました。
そんな権力者たちが、「無学な普通の人」二人を前にして、なぜか負けていた。
脅しても、戒めても、もう届かなかった
指導者たちは手を尽くします。「これ以上語ってはならない」と命じ、厳しく戒め、さらに脅しました。持てる権威をすべて使って、この動きを止めようとしました。
でも読んでいると、どこか焼け石に水です。圧倒的な力を持っているはずなのに、なぜかひどく焦っていて、追い詰められているのは彼ら自身のように見えます。
それはなぜか。彼らの権威は、「この世の中の今」を守るためのものだったからです。地位を失わないために、現状を維持するために、自分たちの恵まれた環境が続くように。そのために人を動かし、従わせる。そういう力の使い方でした。
だからこそ、その「今」が揺らいだとき、権威そのものが意味を失いました。
「神の前に判断してください」という言葉
ペテロは問われてこう答えます。「神に聞き従うより、あなた方に聞き従う方が神の前に正しいかどうか、判断してください」。
これは挑発ではありません。ペテロはここで、判断の基準を「今この瞬間」から動かしています。今日この場をどう切り抜けるか、ではなく。今までも、これからも、永遠を通して正しいことは何か。その視点で見てください、と言っているのです。
「今日だけを切り取って考えるなら、人の権威に従ったほうが安全だ」と、ペテロ自身もわかっていたはずです。でも彼は、今この場面だけで判断することをやめました。
ここに、「無学な普通の人」が大胆に立てた理由があります。自分を支えているのが、この世の評価でも地位でもなかったから。今日の結果で揺らぐものではなかったから。
あなたが今日も静かに動いていること、見守っていること、祈っていること。それがすぐに何かを変えなくても、今日だけを切り取って判断する必要はないのかもしれません。今この瞬間だけが、すべてではない。その視点が、静かに立っていることを可能にします。
考えてみましょう
今日自分が動いたことや、続けていることを振り返るとき、「今日の結果」だけで判断しようとしていないか。もし今日だけではない視点で見るとしたら、それはどう見えるでしょうか。
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
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