どれだけ疲れても、朝になれば立ち上がる。そんな日々を続けているあなたに、聖書の古い物語から、神の憐れみについて届けたいことがあります。「ともしびが消えなかった」——その一言が、今夜のどこかに届くといいと思いながら書いています。
「その宮で全てのものが『栄光』という。主はその民に力を与え、主はその民を平和をもって祝福される。」
(詩篇29篇)
小さなほころびが、いつの間にか大きくなっていく
ソロモンは、歴史上でも指折りの王でした。神から知恵を授けられ、あの壮大な神殿を建て上げた人物です。神は何度も彼にこう告げていました。「私の掟を守りなさい。私の道を歩みなさい。」
始まりは、ほんの小さなことでした。
政治的な安全のために、エジプト王の娘を妻に迎えた。聖書はそれを責めることもなく、淡々と記しています。でもそこから、少しずつ変わっていきました。一人の妻が異教の習慣を持ち込み、それを許した。また一人、また一つ。神への礼拝が一つ削られ、別の習慣が一つ加わる。そのくり返しでした。
最初から「こうなる」とわかっていれば、誰でも止めます。でも変化はいつも、気づかないほど小さく始まります。やがてソロモンは、自分でも望まなかった場所に立っていました。神から「私の掟を守らず、私の道を歩まなかった」と言われる場所に。
王国は北と南に引き裂かれ、10の部族は別の者の手に渡りました。ソロモンが積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくような結末です。
それでも、ともしびは消えなかった
ところが、話はそこで終わりません。
列王記第一11章32節にこう書いてあります。「しかしソロモンには一つの部族だけが残った。それは私の下僕ダビデと、私がイスラエルの全部族の中から選んだ町エルサレムに免じてのことである。」
ソロモンが反省したから、ではありません。熱心に神に立ち返ったから、でもありません。「私の選んだダビデゆえ」——神の一方的な選びと憐れみが、理由のすべてでした。
ザカリア書はその残された灯りをこう表現しています。「ともしびを保つためである」と。
天を焦がすような炎ではありません。大きく燃え盛る勝利の火でもありません。つけば消えそうな、か細い灯火。でもそれは、消えなかった。人の愚かさがこれほど大きく広がった後でも、神の憐れみはそこに一筋の光を残し続けました。
その光はやがて、誰かから誰かへと受け継がれていきます。マタイの福音書の冒頭にある系図が、それを静かに証言しています。「ダビデにソロモンが生まれ、ソロモンにレハブアムが生まれ……」。その長い長い連鎖の先に、イエス・キリストの誕生があります。
「あなたの出来具合」が条件ではない
完全に燃え盛っていなくても、ともしびは保たれていた。それが今日の話の核心です。
毎晩リセットして、翌朝また笑顔で立ち上がる。そういう日々の中で、「もっとちゃんとしなければ」「感謝が足りないのかもしれない」と感じることがあるかもしれません。でもソロモンの物語が示すのは、神の憐れみの根拠は「その人の出来具合」ではなかった、ということです。
消えそうで消えない状態が続いている。それは今日も、ともしびが保たれているということかもしれません。
今日の問い
声に出せなかった言葉が、胸のどこかにある——そういう瞬間が、最近ありましたか。神はその言葉が形になる前から、知っていたと聖書は言います。
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