15年止まっていた場所に、若枝が与えられた

15年止まっていた場所に、若枝が与えられた

誰かの力になれている手応えはある。
でも、自分自身のことになると、どこかで信じ切れない。
正しくやり続けているのに、何かが積み上がっていない気がする。
その無力感は、あなたの努力が足りないサインでしょうか。
あるいは、何か別のことを知らせているのかもしれません。

万軍の主はこう仰せられる。見よ、一人の人がいる、その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建てる。
(ゼカリア書6章12節)

目次

自分の力の先に、別の何かが待っている

正しい方向に向かっているのに、どこかで止まっている。
そんな感覚が続いているとしたら、あなたはいまどんな気持ちでいるでしょうか。
「もっと頑張れば届く」と思っているでしょうか。
それとも、「頑張り続けることそのものが、もう限界に近い」と感じているでしょうか。

15年間、手が止まったままだった

バビロンの捕囚から解放されたイスラエルの民は、神殿の再建に着工しました。
神に立ち返り、正しく歩もうとする、誠実な出発でした。
ところが反対者に阻まれ、工事は中断されます。
そのまま15年が過ぎました。
「もう一度やろう」と思っても、自分たちの力ではどうにもならなかったのです。
正しい動機で始めたことが、止まったままになっていました。

古い幹の先に、細い緑が出ていた

そこにゼカリアが告げたのは、「若枝」という言葉でした。
樹齢何百年の大木を思い浮かべてみてください。
ごつく太い枝が、1本の木ほどの存在感で伸びています。
でもその先をよく見ると、子どもの指ほどの細さで、新しい芽が静かに出てきています。
古い幹の続きから、命が新しく始まっているのです。
ゼカリアが告げた「若枝」は、民の努力から生まれるものではありませんでした。
神が立て、神が与える、新しい命のことでした。

15年間止まっていた場所に、神から若枝が与えられました。
民がすでに帰還していた、その場所に。
すでに若枝は置かれていたのです。
あなたがどうにもできないと感じているその場所に、すでに若枝が与えられているとしたら。
あなたがずっと握りしめていたものの先に、すでに細い緑が出ていたとしたら。
若枝。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
動画はこちら

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

15年間って、長いですよね。
僕は「なぜもっと早く動かなかったのか」と思いたくなりますが、民にとってはきっと、止まっていたのではなく、どうにもできなかったのだと思います。
そこに「若枝」が与えられたという話を聞いて、努力の先にあるものではなく、努力の外から来るものがある、という感覚を初めてリアルに感じました。
今日の問い。
今日、若枝という言葉を聞いて、何かが引っかかりましたか。
それとも、まだ遠い話のように感じていますか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次