荒地に置かれたことは、失敗ではない

荒地に置かれたことは、失敗ではない
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場所が問題なのではなく、場所の意味がまだ見えていない

これだけのものを持っているはずなのに、なぜ前に進めないのか。
試練の中で、そんな問いを抱えたことはありますか。
あるいは、進めていないのではないかもしれません。
じつは「正しい場所にいる」だけなのかもしれない。

「私の兄弟たちよ、様々な試練に会う時は、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということをあなたがた知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全なものとなります。」
ヤコブ1:2-4

これだけ考えられる。
これだけ知っている。
それなのに、何かが動かない。

その止まり方の正体を、「場所が間違っている」せいだと思い込むことがあります。
もっと良い条件が整えば、もっと適した環境があれば——と。

でもヤコブの手紙が描く信仰の完成像は、肥沃な花壇ではありませんでした。

誰も好まない場所に、置かれた

神が「ここに咲いてほしい」と置く場所は、荒地だと書かれています。
岩と岩の間。
光が差し込まない、香りもない、誰も好まないような場所。

それでも神はそこに花を置いて、「あなただからこそよろしく」と言います。

「なぜ私は日当たりの良い場所にいないのか」と思うことは、自然なことです。
でもヤコブの手紙はそこに、別の読み方を差し出してきます。
荒地に置かれたことは、失敗の証拠ではありません。
そこが、あなたを通して何かがもたらされる場所なのだ、と。

耐えることと、立ち続けることは、違う

あと少し、嵐が過ぎれば——そう思いながら動けなくなっていることは、ありませんか。

「忍耐を働かせなさい」という言葉があります。

忍耐と聞くと、うずくまって嵐が過ぎるのを待つイメージがあります。
じっと耐えて、時が過ぎれば——そういうイメージです。

でも原語が示すのは違う動詞です。
「その場に旗を掲げたまま、立ち続けること」です。

風が吹いても、旗を降ろしません。
嵐の中でも、その場を離れません。
諦めず、逃げ出さず、投げ出さず、ただそこに立ち続けます。

時が過ぎるのを待つのではなく、その場で関わり続けることが「忍耐を働かせる」ということです。

荒地に置かれたことが失敗の証拠ではないとしたら、今いる場所の意味は少し変わって見えてこないでしょうか。
「あなただからこそよろしく」と言われたその場所で、旗を掲げ続けることの意味が。

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

「荒地に置かれたことは失敗ではない」——この言葉、僕もすぐには受け取れませんでした。
誰だって、肥沃な花壇のほうがいいと思いますよね。
でも「あなただからこそよろしく」という神の言葉が、荒地に立つ意味を変えるんだと気づくと、少し静かになりました。
今いる場所が『間違いだった』と思っているとしたら——本当にそうでしょうか。
それとも、まだその場所の意味が見えていないだけかもしれません。
僕はそのことを、しばらく抱えていたいと感じました。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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