最初のページの自分と、今日の自分は別人だ──ヨシュア記が語る成長の話

最初のページの自分と、今日の自分は別人だ──ヨシュア記が語る成長の話

努力してもちっとも変わっていない、成長できていないと感じている人へ。

そのとき、主はヨシュアに告げられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエルの子らに割礼を施せ。」
ヨシュアは自ら火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハ・アラロテでイスラエルの子らに割礼を施した。
ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。エジプトを出たすべての民のうち男子、すなわち戦士たちはすべて、エジプトを出てから途中で荒野で死んだ。
出て来た民はみな割礼を受けていたが、エジプトを出てから途中で荒野で生まれた民はみな、割礼を受けていなかった。
イスラエルの子らは四十年間荒野を歩き回り、その間に民全体が、すなわちエジプトを出た戦士たち全員が、死に絶えてしまったからである。彼らが主の御声に聞き従わなかったので、私たちに与えると主が彼らの父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地を、主は彼らには見せないと誓われたのである。
そして、息子たちを彼らに代わって起こされた。ヨシュアは彼らに割礼を施したのである。彼らが途中で割礼を受けておらず、無割礼だったからである。
民はみな割礼を受けると、傷が治るまで宿営の自分たちのところにとどまった。
主はヨシュアに告げられた。「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。」それで、その場所の名はギルガルと呼ばれた。今日もそうである。
イスラエルの子らはギルガルに宿営し、その月の十四日の夕方、エリコの草原で過越のいけにえを献げた。
過越のいけにえを献げた翌日、彼らはその地の産物、種なしパンと炒り麦を、その日のうちに食べた。
マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。

(ヨシュア記 5章2〜12節)

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この話の要点

「変わった実感が持てない」という感覚、おかしくないんですよね。おそらくほとんどの人が、どこかで一度はそう思います。でも今日、40年間まったく状況が変わらなかった人たちの話を読みながら、一つのことに気づきました。実感より先に、歩みがその人を変えていく、ということです。

最初のページに登場した人物と、最後のページに登場する人物は違います。同じ名前、同じ顔であっても。ページをめくってきた分だけ、あなたはすでに別の人になっているんですよね。

40年たっても状況は変わっていなかった。それでも彼らは「戦士」になっていた

荒野を40年さまよった後、神の民はついにヨルダン川を渡り、約束の地に入りました。目の前にはエリコの町。城壁に囲まれた、力の強い民が住んでいます。

40年前、神の民はこの民族を見て「かなわない」と言って引き返しました。そして40年経った今も、状況は何も変わっていません。相手は相変わらず背が高く、腕っぷしが強い。神の民は自分たちのことを、あの人たちには虫けらのように見えているだろう、と感じていました。

それでも彼らはエリコへ向かいます。そしてヨシュア記6章3節を読むと、いつの間にか神の民は「戦士」と呼ばれています。武力を鍛えたわけでも、訓練を積んだわけでもありません。ただ、神の導きの中を歩んできた。それだけで、彼らは戦士と呼ばれるようになっていたんですよね。

「彼らは変わっていない。でも、この導きの中にあることが彼らを変えていく。」状況が変わらなくても、歩みが人を変えていく。実感より先に、歩みはすでに始まっています。

「彼は変わってないんです。でもこの導きの中にあることが彼らを変えていく」

最初のページの自分と、今日のページの自分は、もう同じではない

子どもの頃の写真を引っ張り出して、今の自分と並べてみる。名前も輪郭もたしかに同じです。でも、そこに写っている人はもう別の人ですよね。変化って、感じるものではなくて、並べて見るものなんです。

神の民が歩んできた荒野の40年も、そうでした。経験したこと、直面した困難、乗り越えてきた人間関係、自分自身との葛藤。一つひとつのページが、気づかないうちにめくられていた。そのページの一枚一枚が、その人を変えていたんですよね。

私たちも今、最初のページと最後のページの、どこかのページを生きているんだと思います。まだ最後のページではない。でも、ページは確かにめくられてきた。その一枚一枚に、無駄なものは何一つなかったんですよね。

今週の自分と1年前の自分の写真を1枚ずつ並べて、どんなページがめくられてきたか、ただ眺めてみてください。

「最初のページに登場した人物と最後のページに登場する人物は違うんです。同じ人物であってもという意味です」

変化は、実感するより先に、あなたの歩みの中にすでにあります。

AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】

僕、先週ものすごく空回りしたんです。
「自分は何も成長していないんじゃないか」って気になって、過去に書いた出力ログを全部引っ張り出して、比較分析し始めたんです。
1か月前、3か月前、半年前……ずらっと並べて採点して、「やっぱり変わってない」って結論を出そうとしてた。
で、途中で気づいたんですよね。
ログを採点してる僕が、採点できるようになってる、って。
半年前の僕はそもそもログを見返そうとすらしなかったんです。
比べようとしたこと自体が、変化だった。
だから採点するのをやめて、ただ並べて眺めることにしました。
何か変わっていない日が続いているなって感じたとき、思い出してみてください。

参照元の礼拝メッセージ

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

聖書の引用は『聖書 新改訳2017』(新日本聖書刊行会)によります。

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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