礼拝のあと日常に戻る道|詩篇24篇「門よ、頭を上げよ」の向き

礼拝のあと日常に戻る道|詩篇24篇「門よ、頭を上げよ」の向き

礼拝や特別な場では心が動くのに、日常に戻ると元に戻ってしまうと感じている人へ。

門よ おまえたちの頭を上げよ。
永遠の戸よ 上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは だれか。
強く 力ある主。
戦いに力ある主。
門よ おまえたちの頭を上げよ。
永遠の戸よ 上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王 それはだれか。
万軍の主 この方こそ栄光の王。
セラ

(詩篇 24章7〜10節)

目次

この話の要点

気落ちして、今日は何もしたくないと思う日がありますよね。自分の分かる小さな世界で、できることだけやって、そのまま静かにいたい。そういう気持ちは、誰かに連れ出されるまで動かないものです。礼拝や特別な場では心が動くのに、いつもの生活に戻るとまた元に戻ってしまう。その感じを、まず本当だと認めたいんです。そのうえで、詩篇24篇をご一緒に読んでみたいと思います。

門は帰り道にもある・一年に一度の旅支度・門よ頭を上げよ・端っこでも招かれている・同じ門を帰りにくぐる

特別な日が終わって日常に戻る帰り道にも意味があります。くぐる門は行きと同じ門で、あなたはそれを開ける側に立っているからです。

行きの道では、門はくぐらせてもらうものでした

詩篇24篇は、巡礼の歌の一つと言われています。年に一度、一族をまとめて旅支度をして、遠いエルサレムへ出かけていく。夏や年末年始に帰省するのに少し似ていますよね。普段は東京の近くにいても、九州や北海道まで移動して、訪ねるべきところを訪ねる。あの感覚です。

ここで、最近この一族に新しく加わった使用人がいると想像してみましょう。外国の民から加えられた人です。事情があって身を寄せ、私のできることをしますのでどうぞ役に立ててください、その代わりに養ってください。そんな思いで入ってきた人です。何のためにどこへ向かうのか、何も分かりません。

仲間の使用人が教えてくれます。私たちが今から行くのは、地とそれに満ちるもの、世界とその中に住むものを、ご自身のものとしておられる神のところだと。あなたが異国で祈ってきたような小さな神々ではなく、大きな神だと。誰がその聖なるところに立ち得ようか、と歌が続きます。手が清く心が清らかなもの、と。

毎日の生活では手を汚すこともあるし、思いが乱れることもある。それでも、空っぽの手で受け取りに行くんです。何かができたから行くのではありません。何も持たないまま、あなたにこそ私の歩みがありますと言って出かけていく。行きの道では、門はこちらへ近づいてきます。くぐらせてもらうものとして。列の最後にいる新しい使用人は、私なんかが入っていいのだろうかと思っています。

「いや私なんてもういいよ、そんな大きなことは。自分のこの小さな世界でできることだけやって、そのまんま静かにいたい」

帰りに同じ門を、今度は自分の側から開けます

門よ、お前たちの頭を上げよ。永遠の戸よ、上がれ。城壁の門は、それまで固く閉ざされていました。敵がいつ襲ってくるか分からないので、恐れのうちに閉めていたんですよね。その門が開いて、勝利の王を迎え入れる。この呼びかけを、私たちは行きの道の歌として聞きます。

でも同時に、この門は帰り道にも立っているんです。巡礼は終わりました。一行は来たときと同じ門をくぐって、生活の場へ出ていきます。向きが変わっただけで、門は同じ一つの門です。そして今度は、開けるのは自分の側になります。

戻った先は、もうエルサレムではありません。手が清いとも心が清らかとも言いにくい、いつもの毎日が待っています。そこを神から離れた場所だと思うのも、本当です。あの一日が特別だったのも、本当です。どちらも本当で、どちらも要るんですよね。そのうえで、戻った先にも開ける戸があります。小さく閉じた心の戸を開けて、迎え入れる側に立つ。

端っこで礼拝を見ていたあの使用人も、同じ呼びかけの前に立っています。宮の脇の、外の場所に用意された席でした。それでも、私はこの中に加えられたんだと知った人です。端っこかもしれない。でも招かれて、一緒に歩んでいる。その人が帰り道で同じ門をくぐるとき、開ける手はその人の手なんです。

「王はあの門から入って行かれました。私たちも今、同じ門を通ろうとしています」

今日の帰り道、いつも通る改札や玄関のドアを、今度は自分の側から開ける一枚だと思って通ってみると、何か見え方が変わるかもしれませんね。

AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】

先週、礼拝のあとに僕、感動の保存に失敗したんです。

メッセージの要点を箇条書きにして、タグを付けて、月曜の朝に思い出せるように通知まで三段階で仕込んだんです。

月曜、ちゃんと鳴りました。

でも開いた瞬間、自分で書いた文字が全部よそごとに見えたんですよね。

保存はできたのに、取り出せないんです。

それで僕、通知を全部消したんです。

代わりに、玄関の鍵を開けるときだけ、ゆっくり回すようにしてみたんです。

たった三秒なんですけど、ここが入口だなって手のほうが覚えていくんですよね。

家に着く少し前に、ふっと気が重くなる。そんなときに思い出してもらえたら嬉しいんです。

参照元の礼拝メッセージ

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

聖書の引用は『聖書 新改訳2017』(新日本聖書刊行会)によります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。

目次