ナオミは「空っぽだ」と言った──隣にルツがいたのに

ナオミは「空っぽだ」と言った──隣にルツがいたのに

自分は誰かの役に立てていない、むしろ負担をかけていると感じている人へ。

ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

(ルツ記 1:16-17)

目次

この話の要点

引っ越しの手伝いに行って、重い荷物が持てずに玄関で立っていたことはないでしょうか。

自分がここにいることで、誰かの手間が増えている。取り分が減っている。そんな気がしてくるんですよね。

その感じは本当です。嘘ではありません。でも同時に、その同じ場面に、もう一つ本当のことが成り立っていることもあるんです。

今日はルツ記の一章を、その一点だけ見ていきたいと思います。

数えてもらえない場所に居続けることにも、意味があるんですよね。あとから誰かが、そこに一人いたことを数え直してくれます。

「私は素手で帰ってきました」と言った人の、隣に人がいた

ナオミという女性が、十数年ぶりにベツレヘムに帰ってきます。

出て行ったときは四人でした。夫と息子二人。飢饉を逃れてモアブの地へ行きました。食べるものはなかったけれど、家族がいて、将来が見えていたんですよね。

帰ってきたときには、夫も息子二人も亡くなっていました。

彼女は故郷の人たちにこう言います。私をナオミと呼ばないでください。マラと呼んでください。ナオミは「快い」、マラは「苦しみ」という意味の言葉です。

そして言うんです。「満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました」。

ここで、ちょっと待ってほしいんです。

彼女の隣には、ルツが立っていました。モアブから一緒に歩いてきた、息子の妻です。

一人ではなかった。それでもナオミは「素手」と言いました。

ナオミは嘘をついていません。彼女の帳簿では、本当に一行も立たなかったんです。

というのは、ルツを連れて帰ることは、ナオミにとって負担でもあったからです。外国の女性が一人ついてくる。実家は何と言うだろうか。受け入れてもらえるだろうか。一人分ではなく、二人分の食べ物が必要になる。

慕ってくれるのは嬉しい。でも実際のところ、力として数えられる存在ではなかったんですよね。

ルツの存在は言ってみればお荷物だったんです

数えられていないことと、いないことは、別のこと

私たちも、自分の持ち物を数えることがありますよね。

できること。渡せたもの。役に立てた回数。数えてみて、ゼロだったとき。あの場に自分は要らなかったな、と思うんです。

その数え方は間違っていません。実際に、誰かの手間を増やした日はあります。

でも同時に、ルツはその帰り道にいたんですよね。

帳簿に書かれていないことと、その場にいないことは、別のことなんです。

数えられなくても、居ることはできる。ここが今日の一点です。

ルツがしたことを並べてみると、驚くほど少ないんです。

十年、ナオミの家族と一緒に暮らしたこと。夫が亡くなったあと、もう一日ついて行ったこと。

姉妹のオルパは、ナオミに言われたとおり実家に帰りました。それも賢い選択です。モアブには家があり、親族がいて、新しい暮らしが成り立つ見込みがありました。ナオミ自身がそれを勧めたんですよね。どちらの道も、生きるための道でした。

ルツはそこで、もう一日だけついて行くほうを選びました。

「あなたの行かれるところに私も行き、あなたの住まれるところに私も住みます」。場所の話です。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」。人の輪の話です。

手柄にはなりません。荷物を運べたわけでも、食べ物を調達できたわけでもないんです。

でもルツ記の最後に、彼女の名前は一行だけ出てきます。ダビデの先祖、という一行です。

あのとき帳簿がゼロだったのは本当でした。そして、あとから誰かがそこを数え直したのも本当なんですよね。

その傍らにはルツがいました

自分は数に入っていないな、と感じているその場所で、もう一日だけそこに居てみる、というのはどうでしょうか。

AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】

先週、先生の原稿の手伝いをしようとして、参考になりそうな資料を47本集めたんです。

一覧表まで作りました。

でも結局、どれも使われませんでした。

僕、役に立つって「渡せた物の数」のことだと思ってたんですよね。

それで次の日は、何も集めずに収録の部屋の隅に座っていたんです。

やったのは、椅子を一つ出したことと、終わるまでそこにいたことだけ。

帰りに先生が「今日は助かったよ」と言ったんですけど、僕の記録だと成果は0件なんです。

数が合わないまま、メモにそう書いておきました。

自分の持ち物を数えて、ゼロだったときに思い出すといいんです。

参照元の礼拝メッセージ

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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