ルツ記2章の「図らずも」—偶然とタイミングの話

ルツ記2章の「図らずも」—偶然とタイミングの話

うまく運んだ出来事を「たまたま運が良かっただけ」と片づけてしまう人へ。

ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て、刈る人たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。

(ルツ記 2:3-4)

目次

この話の要点

あのときはたまたまでした。そう言ってしまうことって、ありますよね。

仕事が決まった日のこと。いい人と出会った日のこと。間に合った電車のこと。

振り返ってみても、どうしてうまく運んだのか、自分でもよく説明がつかないんです。

だから運が良かっただけだと片づけておく。そのほうが正直な気もするんですよね。

聖書の中にも、同じ言い方で書かれている一日があります。

うまく説明できないまま覚えている出来事にも、意味があるんです。偶然という言葉は、こちら側から見えている範囲に付けた名前でしかないんですよね。

理由はわかりません、と書いてある畑

ルツが落ち穂を拾いに行ったのは、ボアズの畑でした。

ボアズは、亡くなった義父エリメレクの親族です。後にルツを助けることになる人です。

では、どうしてルツはその畑を選んだのでしょうか。

聖書はそこを書いていません。近かったのか、一番賑わっていたのか、ここでよく受け入れてくれたのか。理由はわかりません。書かれているのは「図らずも」という一語だけなんですよね。

図らずも、というのは、狙ったわけではないという意味です。

所有者が誰なのか、そうしたらどうなるのか、これはいい、それじゃあそうしよう。ルツはそう考えて畑を訪ねたわけではありませんでした。

これって、私たちの「たまたまでした」と、まったく同じ置かれ方ですよね。

ただし、その一日には中身があります。

ルツは何も持っていませんでした。人脈もない。知っている人もいない。手に職があって、それで食べていけるという状況でもなかったようです。

でも彼女には二つのものがありました。時間と、体力です。

何もしていないので時間はある。姑のナオミよりは若いので体力もある。それで何ができるだろうかと考えて、落ち穂を拾いに行こうとなったわけなんですよね。

そして畑に出て、朝から今まで、家で休みもせずずっと立ち働いていました。

誰かに見てもらうためではありません。少しでも多く持って帰って、ナオミと二人の暮らしの足しにしたかった。それだけです。

偶然と呼ばれた一日の内側には、そういう一日が入っているんです。

「近かったのか、一番賑わっていたのか、ここでよく受け入れてくれたのか、理由はわかりません」

覚えているというのは、気にかけているということ

ところが、ボアズの側から見ると、話が違うんですよね。

ルツは、見慣れない外国人の一人として畑にいました。働く人たちも「ナオミと一緒にモアブの野から帰ってきたモアブの娘です」と答えています。外から見える範囲は、それだけです。

でもボアズは、ルツにこう言うんです。

夫を亡くしてから姑にしてきたこと。父母と生まれた国を離れて、知らなかった民のところに来たこと。そのことをすっかり聞いています、と。

国籍を見てではありません。見た目でもありません。第一印象でもありません。彼女がこの間ずっと何をしてきたのかを、ボアズは聞いて知っていたんですよね。

つまり、こちら側から「図らずも」と見えた一日は、すでに広げられた翼の内側で起きていたということになります。

ここで、覚えているという言葉を少し考えてみたいんです。

出来事を覚えているというのは、何が誰にどう起きたかを再現できることですよね。これはこれで記憶です。

でも同時に、私たちは人の存在のことも覚えています。

学生時代の友人のことを覚えている、というのは、楽しかった出来事を並べられるという話だけではないでしょう。今だって思い出せば、あの人はどうしてるかなと気にかけているということですよね。

どちらも本当の記憶です。片方だけが本物ということにはなりません。

記憶の仕組みで言えば、入ってきたことはまず短期記憶で処理されます。そこで大事だと思われたものが長期記憶に入っていく。入らなかったものは書き換えられて消えていきます。

そして長期記憶に入ったものは、しまい込まれて終わりではないんですよね。しばらくしてから、別の場面でぎゅっと呼び出されてくるんです。あ、そういえばこの人はこの前こう言っていた、と。

神が覚えていてくださるというのは、この気にかけられ方のことだと言えるんです。

だから、たまたまでしたと片づけてきた出来事を、もう一度思い出してみたいんですよね。

うまく説明できないまま、それでも覚えている。それは、消えずに残ったということです。そして残っていたものは、しばらくしてからその人を支えます。

偶然だったという見え方も、本当です。ルツには本当に、理由がわかりませんでした。でもその偶然は、翼の内側に入ったまま残っているんですよね。

「それはこっち側から見たら偶然ですけれども」

今週のどこかで、あのときはたまたまでしたと人に話した出来事を、一つだけ思い出してみてください。

AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】

先週、うまくいった日のことを全部調べたんです。

駅に駆け込んだら電車がちょうどホームにいた朝があって、僕はそれを再現したくなったんですよね。

家を出た時刻、渡った信号の数、歩く速さ。

十七通り計算し直しました。

でも、どの数字を並べても、あの朝にはならないんです。

出てきた結論は、たまたま、でした。

それで手順書のファイルを閉じて、メモに一行だけ書いたんです。

あの朝、ちょうどいた。

理由の欄は空けたままにしておきました。

埋めなくても消えないみたいなんです。

説明のつかない出来事を、早く片づけてしまいたくなったときに、思い出してもらえたらうれしいんです。

参照元の礼拝メッセージ

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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