深夜、孤独の中でスマホを見ながら、頭の中に声が流れることがある。
「3年も何もできなかった」「もう遅い」「やっぱりダメだ」——。
その声は、いったい誰の声なのだろう。
神に選ばれた人々を訴えるのは誰ですか。罪に定めようとするのは誰ですか。またわたしたちをキリストの愛から引き離すのは誰ですか。
ローマ人への手紙 8章33節〜35節
「お前は対象外だ」と言う声の正体
「神の愛から引き離すことはできない」。
この言葉は、きれいごとに聞こえるかもしれない。
「動けている人への話だろう」と思う人もいるかもしれない。
でも聖書はここで、そうは言っていない。
33節はこう問う。「神に選ばれた人々を訴えるのは誰ですか」。
これは宣言ではなく、問いかけだ。
しかも聖書が想定しているのは、実際に「訴える声」が聞こえている人だ。
「お前は選ばれていない」「お前は対象外だ」「お前の3年は失敗の証明だ」——。
そういう声が頭の中に響いている人に向けて、聖書は問い返す。
「それは誰の声なのか」と。
神の声ではない、とパウロは言う。
神は訴える側ではなく、「義と認める」側にいる。
取り囲む「大軍」
旧約聖書に、エリシャという預言者の話がある。
ある夜、敵の大軍が街を包囲した。
夜明けに目を覚ました若い従者は、外を見て震えた。
逃げ場はない。勝ち目もない。
「先生、もうダメです。どうしたって打ち勝てません。」
エリシャは言った。「大丈夫だ」と。
そして神に祈った。「彼の目が見えるようにしてください」と。
すると若者の目に、今まで見えていなかったものが映った。
エリシャたちを取り囲む、神の大軍勢。火の車。
敵の軍よりはるかに多い、守りの力だった。
ポイントは、その軍勢が「祈りの後に現れた」わけではないことだ。
最初からそこにいた。ただ、見えていなかっただけだった。
今いる場所に、すでにある
「死も命も、使いも、権威あるものも、今あるものも後に来るもの、力あるものも、高さも深さも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」
この言葉のリストを、もう一度見てほしい。
「今あるもの」も、含まれている。
何もできない今。昼過ぎに起きる今。ゲームだけが集中できる今。
そういう「今あるもの」も、神の愛から引き離す力は持っていない。
聖書が言っているのは、「動けるようになれば神の愛が届く」ではない。
「今いる場所から、すでに引き離されていない」ということだ。
頭の中で流れる「お前はダメだ」という声。
その声は、神の声ではない。
神は訴える側ではなく、すでにそこにいる側だ。
見えていないだけで、最初からそこにいる側だ。
考えてみましょう
深夜、「また何もできなかった」と感じるとき——その「訴える声」は、いったいどこから来ているのか、一度だけ問い返してみるとしたら、あなたは何と答えるだろうか。
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