毎日同じ場所に立って、誰かのために笑顔を作り続けている。その孤独は、誰の目にも映っていないかもしれない。でも、神の目には映っていたとしたら——。
ペテロはヨハネとともにその男を見つめて「私たちを見なさい」と言った。
使徒の働き3章より
いつもの場所で、誰も立ち止まらなかった
エルサレムの宮の門のそばに、一人の男が座っていました。
生まれつき足のきかない人でした。毎日、誰かに運んでもらって、そこに置かれました。そして宮に入っていく人たちに向かって施しを求める声をかけ続けていました。
それが彼のいつもの場所でした。
望んでそこにいたわけではありません。でも毎日そこにいました。通り過ぎる人たちの目には、彼の姿が映っていたはずです。でも誰も立ち止まりませんでした。視線を逸らして歩いていく人もいたでしょう。一瞥して、見なかったことにした人もいたはずです。
彼はそこで毎日、「見えない人」として座り続けていました。
「私たちを見なさい」——誰かが立ち止まった日
その日も、ペテロとヨハネはいつもの習慣で宮に向かっていました。特別なことは何もない、午後の祈りの時間です。
男は2人に声をかけました。いつものように、何十人目かの通行人として。
でもペテロとヨハネは立ち止まりました。そして男を「見つめた」と書かれています。
これは、目に入れることとは違います。「この人には何が必要だろう。何を求めているだろう。私たちに何ができるだろう」——そういう思いを持って、相手を見ることです。
「私たちを見なさい」とペテロは言いました。
男は驚いたはずです。そんな言い方をされたことが、今まで一度もなかったから。何かもらえると思って、じっと2人を見ました。
しかし聞こえてきたのは「金銀は私にはない」という言葉でした。
がっかりしたでしょう。普通の人じゃないか、と思ったかもしれません。
でもペテロはこう続けました。「私にあるものをあげよう」。
ペテロが持っていたものは、華やかな奇跡を起こす力でも、社会的な地位でもありませんでした。「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」——その言葉だけでした。
その言葉の後、生まれてから一度も自分の足で立ったことのなかった男が、立ち上がりました。足首に力が入り、膝が伸び、腰が伸び、重心が移って、右足が前に出て、左足がそれを支えて——彼は歩き出しました。歩くだけでなく、跳ねました。そして、いつも外から見送るだけだったその門を、自分の足で通り抜けて中に入っていきました。
あなたのいつもの場所を、神は知っている
毎朝、鏡の前に立つ瞬間があります。「今日も笑顔で」と確認して、出かける。それはいつもの場所への、いつもの歩みです。
その場所で何年も積み上げてきたものがあります。誰かのために差し出してきた時間や力があります。でも「最近どうですか」と足を止めて聞いてくれる人は、なかなかいません。
足のきかない男も、毎日同じ場所で「見えない人」として座っていました。宮の中には入れず、外で見送り続けていました。でも神は、その場所を知っていました。いつもの習慣の中を通りがかった2人の足を止めて、その男の目の前に立たせました。
あなたのいつもの場所も、神は知っています。毎日そこに立ち続けているあなたのことを、見えていないとは思わないでください。
今日、一つだけ
もし誰かが今日のあなたに「私たちを見なさい」と立ち止まってくれたとしたら、あなたは何を求めていると気づくでしょうか。
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