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毎日のルーティンを、ただこなし続けている。
夫の体調を確認して、薬を用意して、仕事に行って、また戻ってくる。
「いつまでこれが続くんだろう」という問いは、心の奥にしまったまま。
あなたの「待ち続ける日々」は、本物の重さを持っています。
そのしんどさの中で、この問いを一度、一緒に持ってみませんか。
「しかし愛する人たち、あなたがたはこの一事を見落としてはいけません。すなわち主の御前では一日は千年のようであり、千年は一日のようです。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、一人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる。」
ペテロの手紙第二 3章8〜9節
神の「見ている」は、私たちの時間の外から来る
「いつになったら、終わりが見えるんだろう。」
そう感じるとき、その気持ちは信仰の弱さではありません。
2000年近く前のクリスチャンたちも、まったく同じことを感じていました。
「キリストは必ず来る、と言われた。でも来ない。遅すぎる。」
この手紙は、その問いに正面から答えようとしています。
地図のたとえ——神の「見方」は違う
スマートフォンの地図アプリを思い浮かべてみてください。
ピンチアウトで拡大すれば、近所のコンビニまで見える。
ピンチインで縮小すれば、日本列島が画面に収まる。
どちらも同じ地図です。
見る「スケール」が違うだけです。
神が時間を司るとは、これに似ています。
アブラハムから始まった約束を、何百年もかけて成就させていく——それができる神が、同時に、今夜あなたが眠れないその一瞬にも、御手を伸ばせる。千年も、一日も、どちらも神の「手のうち」にある。
「遅すぎる」と感じるのは、私たちが一つのスケールでしか見られないからです。
神は引きで見ながら、同時に寄りで見ている。
「一人でも滅びることを望まず」——その視野に、あなたがいる
この言葉が、静かに刺さります。
神は待っている。
ただ時間が過ぎているのではない。
一人一人が神のもとに戻ってくることを、望みながら待っている。
「一人でも」、という言葉です。
例外のない、一人一人への目です。
夫の回復を何年も祈り続けているあなた。
言葉にならない疲れを、誰にも言えないまま抱えているあなた。
声に出せなかった悲しみが、どこかにたまっていると感じているあなた。
その「一人」の中に、あなたがいます。
神がこの忍耐で待っている相手の中に、あなたがいます。
「神様はわかってくださっている——そう思う。でも今夜は、もう少しだけ人間に聞いてほしい。」
そう感じることは、信仰が足りないからではありません。
その正直な気持ちのまま、神に向かっていい。
あなたが言葉にできないまま抱えてきたことを、神はずっと見ていた。
千年を一日のように、一日を千年のように、あなたの時間を手のうちに持ちながら。
「わからない時間」は、神の視野の外にあったのではありません。
あなたが待ち続けてきたその時間のすべてが、神の目に映っていました。
考えてみましょう
「いつになったら、終わりが見えるのか」と感じる場面が、あなたにもありますか。
もしその「わからない時間」を、神が千年も一瞬も同じように手のうちに持っていてくださるとしたら——あなたにとって、その時間の意味は少し変わりますか。
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

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