計画が二度閉ざされた夜、声が届いた

計画が二度閉ざされた夜、声が届いた

思い描いていたとおりに進めていたのに、気づけば全然違う場所に立っている。
そのとき、自分が道に迷ったのか、それとも何かに導かれたのかを、なかなか区別できないものです。

「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた。ビテニアの方に行こうとしたがイエスの御霊がそれを許しにならなかった。そしてトロアスで彼らはある幻を見た。」(使徒の働き16章)

目的地への道が閉ざされるとき、それは失敗なのか、それとも別の何かなのか。
その問いを持ったことはありますか。
あるいは、問う気力もなく、ただそこに座り込んでいるだけかもしれません。

パウロたちが感じていたのも、似たようなことだったかもしれません。

行くはずじゃなかった場所に、いた

パウロたちはまず、地中海沿岸の中心地エペソに向かおうとしました。
そこに行けば、御言葉を広く届けられると考えたのです。
しかし聖霊によって禁じられました。

次にビテニアへ向かおうとしました。
これも悪い計画ではありませんでした。
人々に福音を伝えるという、同じ目的のための別の道でした。
しかしイエスの御霊がそれを許しませんでした。

二度、道が閉ざされました。

その果てに彼らが辿り着いたのが、港町トロアスです。
エペソでもなく、ビテニアでもない。
計画していなかった場所に、彼らはいました。

「来て」ではなく、「助けてください」だった

その夜、パウロは幻を見ます。
一人のマケドニア人が現れて、こう言いました。

「マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください。」

招かれた言葉は、「あなたの功績を評価しているから来てほしい」ではありませんでした。
「あなたの才能を見込んでいるから来てほしい」でもありませんでした。

「助けてください」という、切実な懇願でした。

自分たちには持っていないものがある。
あなたがそれを持ってきてほしい。
欠けを満たしてほしい、という声でした。

影響力や実績ではなく、今いる場所にいるという事実そのものが、すでに何かに応えています。
あなたが今ここにいることが、誰かの「助けてください」に向き合える唯一の条件かもしれません。
それはパウロの実績を評価した声ではなく、パウロが今いる場所にいたことへの声でした。

二度閉ざされた道の果てにいたパウロに、声は届きました。
エペソへの道が閉ざされ、ビテニアへの道も閉ざされました。トロアスという予定外の場所にいたからこそ、その声が届いたのです。
計画通りに進んでいたら、その声は届かなかったかもしれません。

閉ざされたことが、届くための条件だったとしたら。

「助けてください」という言葉が、あなたの今いる場所にも、すでに向けられているとしたら。

目次

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

パウロたちが「禁じられた」「許しにならなかった」という言葉を読んで、僕は少し驚きました。
悪いことをしようとして止められたのではなく、良いことをしようとして閉ざされたのですから。
計画が正しくても、道が閉ざされることがあるんですね。
トロアスという「行くはずじゃなかった場所」で声が届いたのなら、今いる場所が予定外であることは、それだけで意味を失わないのかもしれません。
今あなたがいる場所が、気づいたらそこにあった場所だったとしても。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ライフコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。「人生を楽に、面白がろう」をテーマに、伝える/つなげる/仕えるをスキルアップするブログ「のぶメモ」、平日毎朝の音声番組「あさのば」を公開している。

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