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自分がどこにいるのか、何者なのか。
それが見えなくなっている。
そんな夜が、あるでしょうか。
誰かに話すほどでもない。
でも、誰かに見ていてほしい。
その両方が、静かに胸の中に同居している。
孤独とはそういうものかもしれません。
誰もいないことではなく
誰からも見られていない感覚のこと。
主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
——歴代誌第二 5章
何百年も、同じように置かれ続けていた
ソロモンが神殿を完成させたとき、その中心に運び込まれたものがありました。
「主の契約の箱」です。
これはモーセの時代からイスラエルの民とともにあったものです。
約束の地に入るとき、先頭に進んだ。
天幕を張るとき、その中心に安置された。
神がずっとともにおられたことの証しです。
しかし、神殿が建てられるまでの間、何百年もの時間が流れました。
その間、箱はずっとそこにあった。
使われない時期もありました。
戦いの時も、飢饉の時も、民が神から遠ざかっていた時も。
それでも箱は、ずっとそこにあり続けました。
そして契約の箱が至聖所に運び込まれた瞬間、神の栄光が神殿に満ちた。
建物が「命あるもの」になった瞬間です。
あなたは今、自分の人生がフルに使われている感覚を持っていますか。
あるいは、有効に用いられているとは言えないと思っているかもしれません。
でも、フルに使われていないことは、失われたことと同じではありません。
箱はずっと、神のものでした。
民がどこで、何をしていても。
あなたが今どこで何をしていても。
それは変わらない。
主の箱はあなたとともにあります。
そして、あなたは神のものとして用いられるのです。
慈しみとは、親が子を見る眼差しのこと
賛美が一致したとき、民が口にした言葉があります。
「主はまことにいつくしみ深い。」
「慈しみ」という言葉があります。
これは親が我が子を見るときの、情愛の心を表します。
目に入れても痛くない。
どうしても手放せない。
この子のためなら何でも与えようと思う。
ただ、愛おしい。
神はあなたをそのように見ている、と聖書は言います。
眩しいものを見るように、ではありません。
役に立つものを評価するように、でもありません。
ただ愛おしい我が子を見るように——その眼差しがあなたに注がれている。
今あなたがどこにいても。
何をしていても。
何者であっても。
その眼差しは、あなたを見ています。
賛美の声を上げた誰もが、その神の眼差しを知って、高らかに歌ったのです。
あなたに聞いてみたいことがある
「見てほしい」と思うとき、あなたのどんな部分を見てほしいですか。
参考礼拝メッセージ
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
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