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毎日、誰かのために祈り、気を配り、動いている。なのに「自分はまだ足りない」という感覚がどこかに残っている。そんな思いを抱えながら、今日も一日を始めていませんか。
聖書の言葉をひとつ、ここに置かせてください。
「私はあなたを体内に形作る前からあなたを知り、あなたが腹から出る前からあなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」
「まだ」と言い続けた人がいた
エレミヤという人物がいます。
彼が生きていたのは、アナトテという町でした。エルサレムから少し北に行ったところにある、さびれた町です。聖書の研究者たちはこの町のことを「乾燥したアナトテ」と呼びます。若い人はみんなエルサレムへ出ていく。産業もない。先の見えない、廃れていく町です。
その町で、エレミヤは祭司の家に生まれました。祭司というのは、宮に来る人を迎えて、その人を神へとつなぐ役割です。エレミヤは「自分もやがてここで父の後を継いで、来る人を迎えよう」と思っていました。それが自分の生涯だと描いていた。
ところが、そこに神の言葉が割り込んできます。「あなたを国々への預言者と定めていた」。
エレミヤは戸惑います。当然です。彼の答えはこうでした。「ああ、神よ。私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません」。
自分のことをよく知っているから言える言葉です。準備ができていない。経験が足りない。まだだよ、まだだよ、と。
「まだ足りない」は、神の目には関係ない
でも神はそれを聞いた上で、すでに定めていた、と言うんです。
エレミヤが「まだ」と思っている時に、です。宗教が形骸化して、人々の心が偶像に向き、国全体がこんがらがった糸のような状態になっていた、あの混乱の只中に。そこに置いて、すでに知っていて、定めていた、と。
祭司と預言者は少し違います。祭司は「人が来るのを待つ」役割です。預言者は「神からのものを持って、人のいるところへ行く」役割です。宮に座って待つのではなく、王のところへ行き、傷んでいる人のそばへ行き、神の現実をそこへもたらす。それが預言者の務めです。
エレミヤは自分を「祭司になる人間だ」と思っていました。でも神は「あなたは祭司だけではない、預言者として定めてある」と言った。自分には見えていなかった役割が、すでにそこにあったんです。
あなたの場所にも、同じことが言えるかもしれない
職場で、家族のそばで、教会で、あなたはずっと誰かのそばにいます。来た人を迎えて、話を聞いて、静かに祈る。その働きは見えにくい。自分でも「これで十分なのだろうか」と思うことがあるかもしれません。
でも、エレミヤの物語が伝えていることはこうです。神は「準備ができてから」ではなく、「形作られる前から」知っていた、と。「もういいよ」と自分で思えるようになってから召し出したのではなく、「まだだよ」と言っている真っ只中に、すでに定めていた。
あなたが今いる場所に置かれたのは、あなたの力が十分だったからではないかもしれません。でも、そこにいることには理由があるのかもしれない。こんがらがった糸の真ん中に立っていることも含めて、すでに知られていて、定められている。そう静かに受け取れるとしたら、今日の一日が少しだけ違って見えてくるかもしれません。
考えてみましょう
「まだ足りない」という気持ちが来た時、それは本当に「まだ」なのでしょうか。それとも、すでに何かが始まっているのでしょうか。
参考礼拝メッセージ
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。動画はこちら

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