どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2018年5月24日木曜日、第329回目の放送です。
イエス・キリストが語られた8つの幸せ、最後のひとつを紹介します。
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幸いな人々
イエス・キリストが語った、8つの幸せがありました。ひとつずつ紹介してきましたが、今日はその最後になります。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
これが、最後のひとつの祝福の約束でした。義のために迫害されるってどういうことでしょうか?
正しいにもかかわらず
義というのは正しいことです。正しいことを貫く、つまりそれは神の業に生きることを意味しています。神に従い、神の業に生きる。その時に、迫害されることがあるんだと言うんですね。
イエス・キリストが約束したのは、単純な幸せではありませんでした。人が神の約束に従って生きようとするときに、困難なことに直面することがある。周りから理解されないことがある。のけものにされることがある。迫害されることがある。事実、弟子たちは迫害のゆえに殉教、命を落とすということさえ起こりました。しかし、そんな中でも、天の御国はあなた方のものである、と約束してくださっているのです。
決して報われなくない
天の御国はその人のものである。これは8つの幸せの一番最初、心の貧しい者は幸いである天の御国はその人のものである、と言われたのと同じ、まとめの言葉になっています。
天の御国はその人のものである。報われなくないんだ、ということですね。今はそうではないかもしれない。でも、これがずっと続くわけではない。報われるのだ。確かに天の御国はその人のものであるだから。この地上で歩んでいながら、この世の人々の間で歩んでいながら、しかし天の御国を仰ぎ見ながら、希望をもって、望みを抱いて歩むように。そんな勧めがここにあります。
迫害なんかないほうがいいけれど
もちろん、聞いていらっしゃるお一人お一人が、迫害をされたり、あるいは正しいことの故に苦々しいいをしたり、困難に甘んじたり、そういうことができるだけ起こらないほうがいいな、と思っています。正しいことが正しいと理解されて、きちんと受け入れられるのが一番いい、と本当にそう思っています。
でも、そうならないことがある。それもまた現実です。そんなとき、ぜひ天の御国はその人たちのものである、という約束を思い出してください。今の状況はずっと続くのではない。報われなくないのだ。必ず報われる日が来るのだ、ということを思い起こしてほしいと思います。
あなたにとって、義のために迫害される、とはどんな状況でしょうか?思い当たることがあるかもしれませんね。その中にあっても、希望を失わずに歩んでいただきたいと思います。
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