どうも、あなたのサーバント中澤信幸です。
2018年9月20日木曜日、第414回目の放送です。
イエス・キリストが語られた「あなたはわたしを三度知らないと言います」について、お話します。
Podcast: Download (Duration: 5:39 — 3.9MB)
弟子に裏切られる
イエス・キリストが十字架にかかる前の晩、弟子の一人であるペテロにこう言われました。「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らないと言います」
弟子の一人に裏切られ、イエスはこれから捕らえられます。訴えの場に引き出されていきます。ペテロはその後を心配してついていきます。しかし、そのところで「あなたはイエスの弟子でしたね」と問われたとき、身の危険を感じて、ペテロはそれを否定します。イエス・キリストは、このことをあらかじめ予言して、あなたは私を三度知らないと言う、と言ったのでした。
一番弟子だったはずなのに
捕らえられ、訴えられる、この場面こそ弟子が弟子であるところの見せ所というものです。先生をかばい、命を投げ出して従って行く。本来は、そういうことが求められる場面です。特に、ペテロはいつもイエスの一番弟子であろうとしていた人物です。熱心にいのちを投げ出してイエスを守ると言いそうな人物です。しかし、実際はそうではありませんでした。ペテロは、師であるイエスを見捨て、自分の身の安全を図り、イエスなど知らないと言ってしまったのです。
過ちから回復へと導く
弟子の一人に、このように見放されてしまう、見捨てられてしまう。そのことをあらかじめ告げたイエスの思いとは、どのようなものだったでしょうか。イエスは、ペテロに対して、そんなことをしないように、過ちを犯さないように、指導したのではありませんでした。あえて過ちをおかすことを許されたのです。しかし、あらかじめそのことを予告しておくことによって、私はイエスを見捨ててしまったのだ、という罪の自覚を促したわけです。
さらに、後日、ペテロに対して、回復の機会を与えます。さらに深い結びつきへと導きます。そのようにして、ペテロは過ちを犯す前よりも、イエスに深く結びついて、従って行く者となりました。
痛みと苦しみを引き受けて
このように、ペテロのために、ご自分の側に苦しみを引き受けて、イエスは歩まれました。知らないと言って否定される苦しみ、悲しみを引き受けて、あえて過ちを犯すことを許されました。回復をもたらすことによって、さらに良い歩みへ導く、そのための痛みを引き受けなさったのです。
そのようなイエス・キリストの姿に、あなたも何か学ぶところがあるのではないでしょうか?
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