0444 イエス・キリストの十字架上のことば「完了した」

 

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どうも、あなたのサーバント中澤信幸です。

 

2018年11月1日木曜日、第444回めの放送です。

 

完了した、というのは、「よし、すべてがうまくいった」ということです。
十字架で死刑になる人物の口から聞くようなことばでは無いでしょう。

いったい、イエス・キリストは、十字架の死によって、何を完了したというのでしょうか。

 

 

やられてしまったのか?

イエス・キリストは、十字架の上で「完了した」という言葉をもって、ご自身の命の最期を遂げられました。これが、非常に能動的な言葉であることに注目してみましょう。

私の子供の頃のヒーローの死のイメージは、撃たれたところを手で抑えながら、「やられた~」というイメージです。志なかばですね。本当はもっとやるべきことがあったのに… 生きるべきであったのに… やられてしまった、被害を受けてしまった。犠牲者として死んでいく、残念な死です。

十字架の死というのは、犯罪人が処刑される死です。社会的に、お前などいてもらっては困る、死がふさわしいのだ、社会的な犯罪者、失格者だ。あまりにもむごたらしく、ローマでは十字架刑の執行が禁じられていくような、そういう刑罰です。

ですから、神の元から来た救い主が十字架にかかる、などありえないことです。こんな十字架の上で殺されてしまった。志もなかば、救いの任務を完了することもなく殺されてしまった。なぜこのようになってしまったのか、という嘆きがふさわしいでしょう。

 

十字架の死によって「完了した」

ところが、この十字架の上で、イエス・キリストは「完了した」と言いました。全てのことを成し遂げた、という意味ですね。なってしまったではなく、することができた、終わったのだ、という意味です。

十字架における死こそが、救いをもたらす要であり、これが今終わったのだ。まさに、あなたがたのために私は、というイエス・キリストの歩みが完成したという意味でもあります。私は自分の死を死ぬのではない。あなたがたのために命を与えるのだ。その十字架の死がここに完了した。

イエス・キリストは、十字架にかかる前の晩に、弟子たちに対して「あなたがたのために与える新しい契約」と語りました。新しい契約とは、十字架の死を通して、私たちがが神のものとされることです。そのために必要な、支払いのために必要な犠牲は、全てイエス・キリストの十字架で終わるんだ、ということです。

イエス・キリストは、十字架の上で命を落とされました。志半ばで、こうなってしまった、仕方がないという死ではありません。むしろ自ら進み行き、この死によって、新しい契約が実現、完了したのです。

 

十字架こそ、私たちの誇り

後の世代は、イエス・キリストの十字架をさして、私たちの誇りだと告白しました。十字架の死が残忍な死刑であれば、そんなことは言えないでしょう。イエス・キリストの十字架の死が、命を惜しみなく捧げた救い主の救いの業の完成だ、と受け止めればこそ、です。

あなたも、この十字架の言葉の意味を理解することができますか。

 

 

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中澤信幸(キリスト教牧師✕ライフコーチ)

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