Podcast: Download (Duration: 24:07 — 13.0MB)
購読はこちらから Apple Podcasts | Email | RSS | くわしい購読方法
誰にも気づかれないまま、それでも手を動かし続けてきた。子どもたちのことも、孫のことも、心の中で抱えながら、今日も同じ場所に立っている。それで十分なのだろうか、と思うことはありませんか。
聖書の言葉をひとつ。
「エリアの神よ、あなたはどこにおられるのですか」
確証がないまま、それでも外套を拾い上げた
エリシャという人物がいます。
彼はずっと偉大な先輩エリアのそばで9年間歩いてきました。その間、エリアが海を割るような奇跡を目の当たりにしてきました。「この人のようにはとても自分にはできない」という思いを胸に抱えながら、それでもそばに寄り添い続けてきた人です。
そのエリアが突然、火の戦車と竜巻に乗せられて天に上げられてしまいます。残されたエリシャには、何も確かなものがありませんでした。力が引き継がれたという証拠もない。エリアはもういない。自分一人です。
彼は着物を引き裂いて泣きました。それほどに打ちのめされていた。
でも彼はそのままその場に座り込みませんでした。落ちていたエリアの外套を静かに拾い上げ、一人でヨルダン川のほとりに戻っていったのです。そして誰に見せるためでもなく、その外套で川を打ちました。「エリアの神よ、あなたはどこにおられるのですか」と呼びかけながら。
すると水が分かれ、乾いた土が現れました。
「今ポッと始まったことではない」
ここで大事なことがあります。
エリアの神がエリシャの神になったのは、この川を打った瞬間ではありませんでした。9年前、まだ何者でもなかったエリシャに外套がかけられたあの日から、いやそれよりも前から、この神はエリシャの神でいてくださっていた。エリシャが気づいていた時も、気づいていなかった時も。感謝していた時も、そうでなかった時も。変わらずに。
エリシャがヨルダン川を一人で打ち渡った時、その力は突然降ってきたわけではありません。ずっと前から積み重ねられてきた導きが、あの場面で目に見える形をとっただけでした。
あなたが今、その場所に立っているのも、今日始まったことではないと思います。
信仰15年、誰に評価されるわけでもなく、でも確実に積み重ねてきたものがある。職場でも、家庭でも、教会でも、縁の下で手を動かしてきた時間がある。子どもや孫のことを心に抱えながら、言葉にならない祈りを積んできた時間がある。
そしてもう一つ。子どもたちのこと、孫たちのことを心に抱えて「何かしてあげたい、でも何もできない」と思う時があるとしたら、エリシャがその場所から語りかけてくることがあります。
「私の神は、この子の神でもあり続ける」と。
見えない場所で、ずっと働いていた神
あなたが届かない場所、踏み込めない場所がある。それはそうです。でもその場所にも、ずっと前からいてくださった神がいる。その子が気づいていても、気づいていなくても。教会に来ていても、来ていなくても。
エリシャが一人でヨルダン川を打った時、そこに奇跡が起きました。でもそれは「エリシャがすごかった」からではありませんでした。ずっと前から働いていた神が、あの場面でも働いてくださっただけでした。
あなたが今そこに立っているのは、偶然でも、あなたが特別に優秀だからでもありません。ずっと前から、その場所に向けて備えられてきた歩みがある。そしてこれからも、同じ神がその歩みを導いていかれる。
確証がなくても、外套を拾い上げて川を打ったエリシャのように。
考えてみましょう
「あの人のようにはできない」と感じた場面を一つ思い浮かべてみてください。その時あなたは、それでもどんな小さな一歩を踏み出しましたか。
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。動画はこちら

コメント