孫のために何かしなければ。息子の心配を表に出してはいけない。もっと役に立てる自分でなければ。そんな思いが、静かに心を締め付けていることはないでしょうか。
聖書はこう記しています。
ヘロデ王は恐れおののいた。エルサレム中の人も同様であった。
「幼子のことを詳しく調べ、分かったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
一番不自由だったのは、王様だった
ヘロデ大王は、あらゆるものを持っていました。権力も、財力も、人を動かす力も。エルサレムの神殿を再建したのも、この人でした。
でも彼は、怖れの中に生きていました。
王座を奪われるかもしれない。自分の地位が揺らぐかもしれない。そのために、妻を殺しました。自分の息子たちを殺しました。東方からやってきた博士たちには「行って調べてきなさい、私も拝みに行くから」と言いながら、本当は幼子を消そうとしていました。
これだけの力を持ちながら、彼の心は一瞬も休んでいなかった。
「王でなければ、自分ではない。」
その一点に縛られて、彼は動き続けていました。縛っていたのは、鎖でも牢屋でもありません。「こうでなければならない」という、自分自身の思いでした。
縛りは、外からではなく内から来る
ヘロデほど極端でなくても、同じことは私たちの中にもあります。
弱みを見せてはいけない。心配していることを悟られてはいけない。助けられる自分でなければ、そこにいる意味がない。
そう思いながら生きていると、人当たりはよくても、内側には静かな疲れが積もっていきます。誰にも言えない苦しさを、一人で抱えながら、夜になって静かになったときに、それが戻ってきます。
それは弱さではありません。「こうでなければ」という縛りが、確かにそこにあるということです。
縛りを外したとき、何が見えるか
博士たちは、空気を読みませんでした。王の宮殿に来て、「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか」と聞いてしまいました。ヘロデの前で、別の王の話をしたのです。
彼らには、守るべき地位がなかった。失ってはならない立場がなかった。だからこそ、星の導くままに動くことができた。宝の箱を開けて、馬小屋の幼子にひれ伏すことができた。
帰り道も、王の命令ではなく夢のお告げに従って、別の道を行きました。誰かの期待に応えるためではなく、自分に示されたものに従って動いた人たちでした。
「こうでなければ」から、解かれていた人たちでした。
今夜、眠れないとき、一つだけ聞いてみてください。「私は今、何に縛られているのだろう」と。
考えてみましょう
「こうでなければ自分ではない」と感じていることが、あなたの中にひとつあるとしたら、それは何でしょうか。
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