「わが父よ」と叫んだあの朝、神はどこにいたのか

「わが父よ」と叫んだあの朝、神はどこにいたのか

正しく生きてきたのに、なぜこんなに孤独なのだろう——そう感じたことはありませんか。答えは意外な場所に、ありました。

エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車と騎手たちよ」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで彼は自分の着物をつかみ、それを2つに引き裂いた。
(列王記第二)

わがたましいよ、なぜお前は沈んでいるのか。
私の前で思い乱れているのか。
(詩篇42篇)

外套を拾い上げたとき、彼は一人だった

エリシャという人は、ずっとエリアのそばにいた人です。

エリアは偉大な預言者でした。川の水を割り、敵の前に立ち、神の言葉を伝えた人です。エリシャはその人のもとを離れず、行く先に必ずついていきました。「主は生きておられる。私はあなたを離れない」と言い続けて。

でもある日、エリアは火の戦車とともに天へ去ってしまいます。

残ったのは、エリシャ一人でした。

彼は叫びました。「わが父よ、わが父よ。」自分の着物をつかみ、2つに引き裂きました。悲しみを言葉にできないとき、人は体で表現するしかありません。そういう痛みでした。

慕っていた人がいなくなった。頼りにしていた存在がいなくなった。これからどうすればいいのか。問いだけが残されて、答えがない。

エリシャはそれでも、エリアが残していった外套を拾い上げます。そして川のほとりに立ち、水を打ちながらこう言いました。「エリアの神、主はどこにおられるのですか。」

その瞬間、水が両側に分かれました。

エリシャが渡れるように。

手渡されたのは、知識ではなかった

エリシャがエリアから受け継ごうとしたもの。それは何だったのでしょうか。

技術ではありませんでした。経験でもありませんでした。エリアが積み上げてきた実績でも、人々への影響力でもありませんでした。

「エリアの神、主はどこにおられるのか」という問いへの、答えでした。

その答えは言葉で渡されませんでした。水が分かれることで、示されました。エリアの神は、エリシャの神でもあった。あなたにも、同じ神が共にいる——そのことが、川岸で明らかにされたのです。

引き継がれたのは「神が共にいる」という一点だけでした。

正しいやり方でも、立派な実績でも、確かな知識でもなく——「あなたとともにいる神」が、バトンの中身でした。

考えてみましょう

あなたが誰かに何かを手渡そうとするとき、その中心にあるのは何でしょうか。

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ライフコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。「人生を楽に、面白がろう」をテーマに、伝える/つなげる/仕えるをスキルアップするブログ「のぶメモ」、平日毎朝の音声番組「あさのば」を公開している。

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