Podcast: Download (Duration: 28:57 — 29.3MB)
名前を忘れられたような孤独を、感じたことがありますか。役割で呼ばれ、役割として扱われ、「あなた」という人間への問いかけが、どこかに消えていく感覚。
そんなとき、この話を読んでみてください。
さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄ってきた。するとパリサイ人や律法学者たちはつぶやいて言った。「この人は罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする。」
1%ではなく、1匹だ
100匹のうちの1匹が、いなくなった。
数字で言えば1%です。経営学に「80対20の法則」という考え方があります。全体の8割の成果は、2割の努力で生まれる。残りの1%を追い求めることは、合理的に見れば非効率です。99匹を守りながら、新しい1匹を補充した方が早い。
でもイエスのたとえ話の羊飼いは、そうしません。
99匹を野原に残して、1匹を探しに行く。
なぜか。その1匹が「1%」ではないからです。代わりが効かない。他のものでは補えない。この1匹が失われたら、100匹を全部失ったのと同じだ——そういう向き合い方をしている存在だから、探す。効率を度外視してでも。
もう一つ、銀貨の話があります。10枚持っていた女性が、1枚をなくした。当時、女性が自分で収入を得る手段は限られていました。おそらく、この10枚が頼りにできる最後の財産だった。だから彼女は明かりをつけ、部屋の隅々まで探す。見つけたとき、近所の女友達を呼び集めます。「なくした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください。」
意地悪な見方をすれば、銀貨は増えていません。労力だけ使って、「元通り」になっただけです。
でも、この喜びの核心はそこではない。
失われてはならないものが、ちゃんとある。その回復の喜びです。
マイナスがゼロに戻っただけ。でも「絶対にマイナスであってはならない」という思いの強さが、ゼロに戻ったことを喜びに変える。
「理解できる人」が選ばれている
銀貨を見つけた女性が呼ぶのは、「友達近所の女たち」です。
ここを、もう少し丁寧に読むと気づくことがあります。その銀貨がどれほど大切なものだったか——その重さを本当に理解できる人たちが、選ばれている。わかってくれる人と、喜びを分かち合う。
誰かに「わかってもらえた」という経験は、それ自体が回復の一部です。役割名ではなく、あなたという人間の重さを知っている人の存在は、それだけで何かを取り戻させます。
神が探しているのは、あなたを回収するためではない
このたとえを聞いて、神があなたを探すのは「神の側が得をするため」だと思うかもしれません。でも違う。
もし神が「役に立つ人間だけ集めたい」のなら、上から順番に「ふさわしい人だけ」残して線を引けばいいだけです。でも神はそうしない。失われていくものが、失われていくことをそのままにしておけない。
神が探すのは、渡すものがあるからです。与えるために、探し出そうとしている。
取税人たちのことを思います。彼らはローマの手先として同胞から税を集め、決められた額より多く取り立て、その差額を自分の懐に入れていた。二重の意味で後ろ指を刺され、社会の周縁に押しやられていた。経済的な満足はあったかもしれない。でも子どもや孫に「こうして生きてきた」と胸を張れる歩みではなかった。
その彼らが、イエスのもとに来た。
彼らがそこで受け取ったのは、「取税人」というレッテルで判断される歩みではなく、1人の人格として神の前に立つ、新しい歩みでした。役割ではなく、名前で呼ばれる場所です。
あなたが今、「自分はどこにいるのか」と感じているとしたら——その感覚は、何かが失われているというサインかもしれない。でもその「失われた」という状態こそ、神が諦めない理由になる。1%としてではなく、1人のかけがえのない存在として、探し続ける理由になる。
一つ、問いを置いていきます
あなたが「失われてはならない」とすれば、今の自分のどの部分を、神はそう思っているだろうか。
メッセージの全編は、こちらで聴くことができます。動画はこちら

コメント