50歳。それなりに経験を積んできた。でも、なぜかうまくいかないことが増えた気がする。「もっとちゃんとしてから」「もう少し準備できたら」。そう思いながら、何かを後回しにしてきたことはありませんか。
聖書箇所:ルカ1章26-38節
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」
喜びの根拠は、自分の出来栄えではない
世界で最初のクリスマスは、何一つ整っていない場所から始まりました。
天使ガブリエルを迎えたのは、マリアという少女です。年齢は12〜14歳ほどだったと言われています。特別な財産もなく、地位もない。ガリラヤというイスラエルの片田舎に住んでいました。
しかもマリアには、深刻な問題がありました。婚約中だったのです。当時、婚約した二人は法的に夫婦とみなされていました。その状態でヨセフ以外の子を宿せば、不倫とみなされます。罰は死刑でした。
ヨセフにどう説明すればいいのか。「天使が来ました」と言って信じてもらえるのか。ナザレで生き続けられるのか。マリアの胸の中には、そんな問いが渦巻いていたはずです。
どん底の場所に、「おめでとう」が来た
マリア一人の状況だけではありません。イスラエル全体もどん底でした。長年にわたってバビロニア、ペルシャ、ローマとさまざまな国に支配され続けていました。
一方のローマ帝国は絶好調でした。皇帝アウグストは「最も尊いもの」という称号を持ち、「神の子」「救い主」「平和の君」と呼ばれていました。本来なら神だけに使われるべき名前を、すべて持っていってしまっていたのです。
そんな時代に、そんな少女のもとに、天使の第一声が来ます。
「おめでとう、喜びなさい。主があなたと共におられます。」
「準備はできているか」でも「なぜあなたなのか」でもありませんでした。なぜおめでたいのか。なぜ喜べるのか。天使の答えはシンプルでした。主が共にいるから。それだけです。
2本の棒が正しい距離にないと、音は出ない
調律に使う音叉を知っていますか。2本の棒を叩くと、純粋な音が出ます。楽器はその音に合わせて調律されます。でも2本の棒が正しい距離にないと、その音は出ません。
喜びも、これに似ていると思います。
50歳になると、経験も責任も増えます。「もっとうまくやらなければ」「もっと整えてから」という思いは、悪いものではありません。でも一生懸命になりすぎて、いつの間にか目が神から離れることがあります。
疲れ切った目で「大丈夫」と言っても、それは届きません。マリアが置かれた状況は過酷で、理不尽で、命の危険すらありました。それでも「おめでとう」という言葉が来たのは、彼女の準備が整っていたからではありません。主が共にいる、その事実だけが根拠でした。
できたから喜べるのではありません。整ったから喜べるのでもありません。主が共にいる。それが喜びの出発点です。
考えてみましょう
あなたが今感じている喜びや安心は、自分の出来栄えや状況を根拠にしていますか。それとも、主が共にいるという事実を根拠にしていますか。
参考礼拝メッセージ
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