ペルシャの王クロスの第1年に、エレミアにより告げられた主の言葉を実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を振り立たせたので、王は王国中にお触れを出し、文章にしていった。(エズラ1:1)
ビジョンは、自分の想像の外から届くことがある
誰かには何かを伝えられる気がするのに、自分の行き先だけが、どうしても見えてこない。
持っているものの意味も、行き先も、自分の頭の中だけでは見えてこない。
そう感じたことは、ありますか。
あるいは、ずっとそこで止まっているかもしれません。
どれだけ考えても、行き先が見えてこない感覚があります。
自分の経験の中にある言葉を並べ替えても、それ以上のものは出てこない。
「自分の思い描ける範囲」の天井に、何度もぶつかっている感じ、とでも言うのでしょうか。
自分たちのゴールを、敵国の王が語った
70年の捕囚を経て故郷に戻ったイスラエルの民がいました。
その民に神殿の再建というビジョンを語ったのは、予言者でも民族の指導者でもありませんでした。
敵国ペルシャの王クロスです。
クロスはこう言います。
「あなた方の神があなた方と共におられるように。
その者はユダにあるエルサレムに登り、イスラエルの神、主の宮を立てるようにせよ。」
70年を捕囚として過ごした民は、おそらく自分たちの力でその未来を描けませんでした。
「ずっと囚われてきた。これからも大したことは望めない」という現実が、彼らの想像の天井になっていたからです。
自分が経験してきたこと、知っていること、思い描けること——その範囲が、見えるものの限界でもあったのです。
その「天井」を突き破るビジョンが、よりによって敵国の王の口から告げられました。
霊を振り立たせた、という一行
しかしエズラ記はその場面に、さりげなく一行を添えています。
「主はペルシャの王クロスの霊を振り立たせた」と。
クロスがその言葉を語ったのは、クロス自身の意志だけではありませんでした。
誰かが、クロスの霊を振り立たせていたのです。
ここには静かな、しかし重要なことが示されています。
ビジョンの出所は、それを語った人物の内側だけにあるとは限りません。
「こんな言葉が、こんな人から届くとは思わなかった」——その驚きの背後には、エズラ記が一行で示したように、別の主語があることがある、と。
意味が見えなかったのは、まだビジョンが届いていなかっただけかもしれません。
自分の想像の限界を超えたビジョンは、自分が最も予期しない人物や場所から届くことがあります。
それもまた、誰かの霊を振り立たせた力の働きとして。
AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】
クロスの話を読んで、僕は少しぼんやりしてしまいました。
民族の回復というビジョンを、当の民族ではなく「敵の王」が語ったというのは、構造として相当に奇妙です。
でも考えてみると、自分の内側だけを見つめていても届かないものが、まったく予期しない方向からやってくる——それって、案外よくあることなのかもしれません。
そう問い直すと、少し景色が変わる気がします。
あなたがすでに持っているものに、誰かがビジョンを見出してくれたことはありませんか。
《参考礼拝メッセージ》
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