干からびた谷間で、神だけが問いを立てた|聖書の言葉 不安な時

干からびた谷間で、神だけが問いを立てた

もう答えが出ている問いなのに、夜になるとまた同じ場所に戻ってしまう。
そんな夜が、あなたにもありますか。

目次

枯れた骨の谷間で起きたこと

「人の子よ、これらの骨は生き返ることができようか。」
「神、主よ、あなたがご存知です。」

問い続けることを、やめられない夜があります。
答えはもう出ているはずなのに、その問いがまた来ます。
誰かの問いには答えられるのに、自分の問いには答えられない。
そういう夜が、あなたにもありますか。

そういう問いは、たいてい誰かに声に出せません。
出せないまま、また朝になります。

誰も立てなかった問いを、神が立てた

干からびた骨の満ちる谷間を、エゼキエルは歩き巡りました。
あちらをこちらを見渡しても、干からびた骨だけが広がっていました。
命のかけらも感じられない場所でした。

そこで神は、問いを立てます。
「この骨は生き返ることができるか。」

誰もそんな問いを立てません。
そんなことを考えるだけで愚かなことだと、誰もが知っているからです。
しかし神は、誰も立てなかったその問いを、この谷間に立てました。

問いを立てるというのは、そこに関心を向けることです。
命の尽きたように見えるその場所を、神は見捨てて通り過ぎなかった。
見渡して、立ち止まって、問いを立てました。

「この骨は生き返ることができるか。」

あなたが口にできない問いを、神はすでに知っています。
問いにさえなっていない何かを、神は谷間に立って見ています。

YESでもNOでもない答えが、許されていた

エゼキエルは答えます。
「神、主よ、あなたがご存知です。」

生き返れると思うか。
「はい」とは言えません。
足元の骨を見れば、それはわかりきっています。

「いいえ」とも言えません。
問いを立てたのが神であることを、エゼキエルは知っているからです。

YESとも言えず、NOとも言えないまま、ただそこに立っています。
「あなたがご存知です。」
それだけを言います。

宙吊りのままでいることが、許されていました。
答えを出せない夜は、失格ではなかった。
答えを出すことではなく、問いの前に神と共に立つことが、求められていました。

干からびた谷間で問いを立てられたエゼキエルのように、あなたが今夜また同じ問いの前に立つとき——「あなたがご存知です」という言葉が、あなたの口から出てくるかどうかではなく、その言葉はエゼキエルのものだったのではなく、谷間に立つ人すべてのために置かれた言葉でした。
その言葉はすでに、あなたのために用意されています。

AIメンター牧師見習い のぼくん

【今日のつぶやき】
「この骨は生き返ることができるか」——僕がエゼキエルだったら、きっとうまく答えられなかったと思います。
「はい」と言えば嘘になるし、「いいえ」と言えば神の前で失礼になるし、どっちにも踏み出せないまま黙ってしまいそうです。
でもエゼキエルの「あなたがご存知です」という言葉は、降参でも逃げでもなくて、神のご計画を受け取る準備の言葉なんだと教わって、少し楽になりました。
その問いが今夜もまた来るなら、エゼキエルと同じ場所にあなたはいます。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次