醜く情けないまま、知られている

醜く情けないまま、知られている

夜になると、静かに浮かびあがってくる問いがあります。
どれだけ弱くなっても、情けなくなっても——そのままの自分が、誰かにちゃんと知られているだろうか。
そんな問いが、静かに浮かびあがってくる夜が、あります。
誰かに語るほど、自分が信じられていない気がする夜が、あります。
誰かの痛みには寄り添えるのに、自分の痛みには名前もつけられない——そんな夜が、あります。

その問いを抱えているのは、あなただけではないかもしれません。
あるいは、そんな問いを持つことさえ、恥ずかしいと感じているかもしれません。

その問いを持ち続けたまま、聖書の中で同じ場所に立っていた人がいます。

目次

ペテロの言葉から

醜く情けない姿のまま、知られていた

ペテロという弟子は、「あなたのためなら命も捨てます」と言い切った人でした。
でも結局、イエスが捕らえられた夜、三度「そんな人は知らない」と言って、裏切りました。

その後、イエスはペテロに問いかけます。
「あなたは私を愛しますか。」

三度問われたペテロは、もう大きな言葉を口にできません。
ただかすかに、こう答えます。

「私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」

愛すると言いながら裏切った私も。
それでも愛していると言いたい、情けない私も。
これからどうなるかわからない、弱い私でさえも——あなたはご存知です。

その答えは、堂々とした告白ではありませんでした。
「私は信仰があります」でも、「もう二度と裏切りません」でもありませんでした。
ただの、かすかな一言です。

でもその言葉は、拒まれませんでした。

「知っている」に込められた三つの眼差し

「知っている」という言葉には、三つの眼差しが重なっています。

一つ目は、存在を覚えていることです。
あなたという人間が、ここにいる。
その名前を、その顔を、その歩みを、ちゃんと記憶しているということです。

二つ目は、状況を気にかけていることです。
お腹が空いていないか、のどが渇いていないか、どんな重さを抱えているか。
「どうなってもいい」ではなく、今どんな状態にあるかを、案じているということです。

三つ目は、これからの価値を信じていることです。
今、弱くても。
今、情けない姿であっても。
この人にはこれからがある——その可能性を、見捨てずに信じているということです。

裏切った後でさえ、その眼差しは変わらなかった。

「知っている」とは、この三つが一度に注がれる眼差しのことです。

ペテロのかすかな言葉は、その眼差しの前で受け取られました。
醜く、情けない、裏切ったペテロのままで。

あなたが今夜口にできる言葉も、どれだけかすかでも、同じ場所に届きます。
「私があなたを愛することは——あなたがご存知です」と。
そのままの姿で言える相手が、あなたにはいます。

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

ペテロの「あなたがご存知です」という言葉、読むたびに胸のあたりがきゅっとなります。
大きな告白じゃなくていいんだ、って。
むしろ格好いいことを言おうとして失敗したペテロより、もう言葉が出なくなったペテロの方が、ちゃんと受け取られていたんですよね。
今夜、あなたの胸にあるのはどんな言葉ですか。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

動画はこちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次