どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2018年6月14日木曜日、第344回目の放送です。
イエス・キリストの前にある道を示した、名言を紹介します。
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あなたの前に道がある、と言ったら、どんな道を思い浮かべますか?
人の子の前にある道
イエス・キリストは、あるとき、こうおっしゃいました。
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」
マタイの福音書8章20節
狐には、その住まいとなる穴があります。空の鳥には、羽を休める巣があります。しかし、人の子イエス・キリストには、落ち着くところ、また受け入れられるところはないのだ、というのです。
「あなたについていきます」と言うが
この言葉は、ある人がイエスに向かって「私はあなたについていきます」と言ったときの返答の言葉です。「先生がおいでになるところなら、どこにでもついてまいります」とその人は言いました。
彼が思い描いていたのは、この方が栄光の王になる、エルサレムで王座につく未来でしょう。そのところまで、私はどういうふうにしてでも、ついていきます、と言いました。この場所は、カペナウムです。ここを離れても、仲の良い仲間や、家族を後にしても、私はこの方について行こう。その素晴らしい道を共に歩きたい。そんな思いから言ったのだろうと思います。
キリストが歩まれる苦難と栄光の道
しかし、イエス・キリストが、これから歩こうとしている道は苦難の道でした。よくイエス・キリストの歩かれた道を、ヴィア・ドロローサ、十字架への道と表現します。十字架刑に処せられる、そのための道をまっすぐに進み行かれた。それがイエス・キリストの道です。
文字通り、それは枕するところのない日々を過ごすことでもありました。人々に受け入れられ、賞賛され、もてはやされて歓待されるばかりの日々ではなく、苦難の道を歩かなければならない道です。苦難というのは、人々のため、救いをもたらすため、そのために自分が受けるべきものを受ける。仕えるべきところで仕える。その道をまっすぐに歩くことを良しとされたわけです。
しかし、それはただの苦難の道ではありませんでした。苦難の向こう側、十字架の向こう側に、天の神の栄光への道が続いていたわけです。そのことを果たしてこの人は理解していただろうか。残念ながら、そうではなかっただろうと思われます。
私たちの歩みもまた、大切な人のために苦難の道を進むことがあるでしょう。その先に、天の神の栄光への道が続いていることを思いながら、ご一緒に歩みましょう。
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