どうも、あなたのサーバント中澤信幸です。
2018年9月28日金曜日、第420回目の放送です。
2000本安打を達成した福浦選手(千葉ロッテマリーンズ)が教えてくれた、人から応援される歩みについてです。
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福浦選手2000本安打おめでとう
先日、千葉ロッテマリーンズの福浦選手が、2000本安打を達成しました。プロ野球の中で、非常に偉大な数字、安打を量産してきた大記録です。実に52人目の記録達成でした。
福浦選手は、42歳9ヶ月でこの記録を達成しました。史上2番目の年長達成だそうです。プロ野球に入ったのが1994年、それから25年かけてやり遂げてきた記録になります。
ドラフト7位の投手から
94年に福浦選手が千葉ロッテマリーンズに入ったのには、経緯がありました。彼は習志野高校でピッチャーで四番の選手だったわけです。でも、県の夏の大会では3回戦あたりで負けてしまうようなレベルでした。プロに入るのは難しいかな、と思われていました。ちょうど、その年にロッテが川崎から千葉に移ってくる、という年でした。千葉に移ってきたロッテは、やっぱり地元の選手を取ろうということで、本当だったらドラフトにかからなかったかもしれない習志野高校の福浦選手を指名したのでした。
ドラフトの7位での入団です。ロッテの指名の中でも、一番最後の人でした。ドラフト会議全体でも、一番最後の最後に名前を呼ばれてプロ野球に入った選手でした。背番号は70番。コーチとかがつけるような、大きな数の背番号でした。それでも、地道な努力で選手生活を続けてきました。
福浦選手は、最初投手で入団しています。けれども、非常に体が細くて、最初から肩の故障に悩まされました。1年目の夏には、バッターでやっていこう、ということになりました。遅かれ早かれ、ピッチャーでは通用しない、ということが明らかだったのです。せめてバッターでチャレンジしてみて、それでもダメだったらしょうがない、ということでもありました。
しかし、バッティングには天性の才能、センスがありました。福浦選手は、そこから地道な努力を続けます。練習の虫だったそうです。だんだんと実力を発揮して、チームを引っ張る打者になりました。首位打者も獲りましたし、6年連続3割も打ちました。
応援され続けた25年間
千葉ロッテマリーンズ一筋で、25年の選手生活を続けてきました。このチームでは、若手の台頭に譲ってベテランはだんだん居場所がなくなっていきます。それでも仕方がない、というチーム事情があります。でも、福浦選手だけは特別でした。ミスター千葉ロッテマリーンズとして、ファンの皆さんも、いつも応援してきました。私の知り合いの千葉ロッテファンの方々も、口を揃えて「福浦には2000本打ってもらいたい」と言っていました。
福浦のヒットメーターなんていうのもあって、一本打つたびに数字が増えていきました。その数字が1999から2000になって、ホームグランドで、大勢のファンの前で2000本めの安打を打ったのでした。ファンにも祝福され、仲間にも祝福され、プロ野球界全体に祝福され、非常に嬉しい2000本安打達成でした。
「あなたを応援してきてよかった」
チームメイトの角中選手がこう言っていました。「本人もうれしいだろうけれど、周りもうれしい」福浦選手は、みんなが「応援してきてよかった」と言う選手でした。みんなから応援してもらうことも大事ですけど、その結果「あなたを応援してきて本当に良かった」と言ってもらえる歩みでした。
私たちも、そういう歩みがしたいものです。
あなたを応援してくれる人が、「あなたを応援してきて良かった」と言ってくれるために、あなたは何にどう取り組んだらよいでしょうか。考えてみてください。
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