「居場所」を感じられない夜がある——長年、証明し続けてきたのに。あなたのその疲れは、本物だと思う。
子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。
正しく歩んできた。それなのに——
兄息子は、ずっとそこにいた。
父のそばを離れず、言いつけを破らず、毎日畑を耕し続けた。弟が財産を持ち出して家を飛び出したときも、兄は黙って残った。何年も、何十年も。
それなのに、ある夕方、家から音楽と笑い声が聞こえてきた。
好き勝手に生きて、財産を食いつぶして帰ってきた弟のために、父が宴を開いている。
兄は激しく怒って、家に入ろうとしなかった。
その気持ちは、わかる。
正しくやってきた。黙って仕えてきた。それなのに、何も報われていない。子ヤギ一匹、もらったことさえない——そう彼は父に訴えた。
その怒りは本物だった。不正義への怒りだった。「やるべきことをやってきたのに」という問いは、彼が長年積み上げてきたものの重さそのものだった。
でも父は、こう言った
「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。」
父の言葉は、兄の働きぶりへの評価ではなかった。
「お前はすでに持っている」という、事実の確認だった。
財産はすでに渡されていた。家はすでに彼のものだった。宴を開こうと思えば、いつでも開けた。誰も止めなかった。
でも兄はそれを受け取っていなかった。
自分のものを「父のもの」と思い続け、自分の居場所を「まだ証明しなければならない場所」と思い続け、父のそばにいながら、心は遠くにあった。
弟が思い出したこと
一方、弟息子は遠い国で豚の世話をしながら、ようやく我に返った。
飢えて、みじめで、豚の餌さえもらえない場所で——彼はふと思い出した。「本来、自分がいるべき場所はどこだったか。」
それは、父のいる場所だった。
「息子と呼ばれる資格はない。雇い人の一人として、置いてもらえればいい。」
そう決めて、彼は立ち上がった。
完全な形では戻れない。それでも、あの場所に近づいていく。資格を持ち出す前に、まず向かっていく。
「ここにいていい」という確信が来てから動いたのではない。確信がないまま、それでも歩き始めた。
兄も弟も、それぞれの形で「居場所」を見失っていた。一人は遠い国で。もう一人は、父のすぐそばで。
居場所は、証明して手に入れるものではなかった。最初から、そこにあった。
受け取られるのを、待っていた。
問い
あなたが今、「ここにいていい」と感じるために、まだ何かを証明しようとしているとしたら——その証明が終わったとき、あなたは初めて受け取れるのだろうか。それとも、次の証明が始まるのだろうか。
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