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正しいことをしようとすればするほど、燃え尽きていく。
そういう経験が、あなたにもあるのではないでしょうか。
なぜこんなに枯れていくのか——そう感じるとき、聖書はどう語るのでしょう。
ここを去って東に向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。そしてその川の水を飲まなければならない。私はカラスにそこであなたを養うように命じた。
— 列王記第一 17章2〜4節
使命を果たした直後に、神が言ったこと
エリヤは命がけで語った人でした。
相手はアハブ王。その時代で最も力のある人物です。「以前の誰よりも主の前に悪を行った」と記されるほどの王です。エリヤには、地位もなく、軍隊もなく、権力もありませんでした。それでも彼は、アハブの前に立ちました。そして告げたのです。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」
これは決まり文句のようにも聞こえます。でも、この場面ではそうではありませんでした。権力者に向かって、神の裁きを告げる言葉です。命に関わる言葉です。エリヤはそれを語り切りました。
そのすぐ後に、神が言ったのです。「身を隠せ。」
使命を果たした後で、次の大きな働きへと駆り立てるわけではありませんでした。「休め」でもなく「逃げろ」でもなく、「隠れろ」と言った。そして、「私があなたを養う」と言いました。
カラスが運んできたもの
エリヤがケリテ川のほとりに行くと、カラスが朝に晩にパンと肉を運んできました。
カラスです。きれいな鳥ではありません。当時のユダヤの律法では「汚れた」とされていた鳥でした。神がふさわしい使者を送ったのではなく、誰もが「まさかこれが」と思う存在を遣わしたのです。
エリヤは「主は生きておられる」と口にした人でした。力ある信仰の言葉を語った人です。しかしその人が今、カラスに食べ物を運んでもらわなければ、生きていけません。信仰の言葉を語れる者が、同時に、養われなければ枯れる者でもあった。
それは矛盾でも、信仰の足りなさでもなかったと、この場面は語っています。
やがて、川が枯れていきます。雨が降らないのだから、当然のことです。かつて幅いっぱいに流れていた水が、だんだんと細くなり、ついには消えていく。エリヤの信仰が足りなかったからではありません。雨が降らなかったからです。ただそれだけのことです。
問いを持ちながら、もう一度
今あなたが消耗しているのは、あなたの問題なのか。それとも、雨が降らない季節にいるということなのか。
この問いに、聖書は簡単に答えを出しません。でも少なくとも、エリヤの話はこう語っています。使命を果たした人が枯れることがある。正しいことをした人が隠れを必要とすることがある。そして神は、その人に向かって「もっと頑張れ」とではなく「私が養う」と言った、と。
「身を隠せ」という言葉が、エリヤにとって何だったのか——その問いは、あなた自身の言葉で持ち続けてほしいと思います。
今、あなたにとっての「ケリテ川のほとり」はどこにあるでしょうか。
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