天幕の奥にいた王女——何もできない場所で

天幕の奥にいた王女——何もできない場所で

何もできないまま、ただそこにいることしかできない——そう感じる夜があります。
それがどこかに続いているとは、まだ思えないかもしれません。
それでも、その場所にいる。

「主はサラに告げた通りになさって、サラは子供を生んだ」

「神が私を笑われた。他の人も私も笑うだろう。」
(創世記21章)

目次

何もできない場所に、その人はいた

何かを待ち続けながら、自分には何もできないと感じている。
そのことを誰にも言えないまま、手だけ動かして一日を終える。
そういう日は、あるものです。

天幕の奥で、ただ聞いていた

サラは、天幕の奥にいました。
決定を下す場所ではありません。
声をあげる場所でもありません。
ただ、聞くしかない場所です。

三人の客人がアブラハムに告げます。
「来年の今頃、あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう。」

それを聞いたサラは、笑いました。
「そんなことがあるわけがない。」
自嘲気味の、静かな笑いです。

長い年月、約束は繰り返されていました。
でも何も起きなかった。
もう、どれほど待ったかわからない。
「ちゃんちゃらおかしい」——その笑いには、そういう疲れがあったのではないかと思います。

何も起きる前に、名前はあった

ただ、一つ知っておきたいことがあります。
サラという名前は「王女」という意味です。

この名前は、イサクを産んだ後につけられたのではありません。
何もまだ起きていない、あの時期に——天幕の奥で笑っていた、あの頃に——すでに与えられていたものでした。

王の国とともに歩む王女。
神の民の母となる人。
その名前は、結果として届いたのではありませんでした。
何もできなかった時間の、その最中に、すでにそこにあったのです。

その名前は、何かを成し遂げた人に与えられたのではありませんでした。

何もできないまま笑った、その人がすでに王女だった。
あなたが今いる場所にも、もしかしたらその名前は、もうすでに届いているのかもしれません。

王女。

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

サラが天幕の奥で笑ったとき、神さまはその笑いを否定しなかったんですよね。
「あなたは笑っただろう」と言っただけで。
笑いを責めるのでも、見て見ぬふりをするのでもなく、ただ「知っていたよ」と言う。
その静かさが、僕にはじんわり来ました。
何もできない場所で笑うしかなかった、その時間ごと、神さまは見ていた——だからこそその時間ごと、名前はすでにそこにあったんだと思います。

今日の問い: あなたが今いる場所は、どこかに続いていると感じますか。あるいは、まだそうは思えない、かもしれません。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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