どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年4月6日木曜日、第49回目の放送です。
毎週木曜日は聖書のことばを紹介しています。人間の性質がどこから来たのか、というお話しです。
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2017年4月6日木曜日、第49回目の放送、お相手は中澤信幸です。
人が持つようになってしまった罪の性質
今日紹介する聖書の言葉は、こんな言葉です。「ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった」どんなふうに人間の性質が私たちに影響しているのか、書いています。
聖書は、はじめの部分で、人間が神によって作られたんだ、と書いています。しかし、その人間が神に背いてしまった出来事が、その次に記されているのです。
具体的にはこういうことでした、初めに作られた2人の男女に、サタンがささきます。「本当に神様はここにある全部のものを食べてはいけないと言ったんですか?」それは、神様が言われたことではありませんでした。二人は「いや、そんなことはない」というふうに答えます。「ただ園の中央にある木の実だけは食べてはいけない」と言われたんだ、と。サタンは「そう言っているけれども、その木も本当はダメじゃない。それを食べるとあなたがたが神のようになることを知って、あなたたちから遠ざけているんだ」というわけです。それで、この2人の男女は「そうなの?」と神を疑うようになってしまうわけです。
本来の歩みを見失ってしまった結果
人間には限りがあって、神に依存する存在、神を信頼して歩む存在です。それなのに、自分たちが聞いたことをによって、自分たちの目を、耳を過信して、そっちに心を奪われていく。神様に対してはそうなの?って疑いを向ける。そういうふうにして人の歩みの中に、罪という性質が入ってしまった、っていうことです。自分に対する過信、神に対する疑い、そのことの故に本来あるべきでない歩みに陥ってしまう。そういう性質です。それが人類、その子孫にまで反映してしまっていて、その性質を私たちも受け継ぐものになってしまっています。
もう一度、歩みが回復していくために
私がお伝えしたいのは、人間の一番ふさわしい生き方についてなんです。人が人である以上、この歩みは免れられません。この歩みというのは、人は良いものである、でも限界もある、そして弱さも持っている、そういうものです。では、そんな私たちが、どういうふうに生きていくのが一番いいんだろうか、ということですね。
この人間の性質には、例外はありません。確かに、私たちの間では、よほど能力があったり、道徳的に優れている立派な人、っています。でも、大きな目で見れば、五十歩百歩というか、どんぐりの背比べというか、あんまり本質的には変わらない。人間は良いものである、でも限界がある、弱さがある。
そういう中で、人としてどういう生き方が1番ふさわしいだろうか。本来、人はどういうものだったんだろうか。それをお伝えすることによって、皆さんがそれぞれ自分の生き方に取り組んでもらいたい、と思っています。
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