どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年7月6日木曜日、第109回目の放送です。
イエス・キリストのたとえ話から、能力をふさわしく活用するしもべと、そうでない愚かなしもべの話を紹介します。
Podcast: Download (Duration: 5:47 — 4.0MB)
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2017年7月6日木曜日、第109回目の放送、お相手は中澤信幸です。
任されたものを管理するしもべ
イエス・キリストが話されたたとえ話の中から、いくつかのことをずっと分かち合ってきています。今日は、主人としもべの関係について、お話ししましょう。先週もたとえ話の中に主人としもべが出てきました。今週も同じようなテーマです。
主人が家のことを任せて、旅に出かけていきます。しもべはその管理を任されたわけですね。使用人たちを働かせて、そして家が整うようにし、働いた使用人たちには十分なものを食べさせる。それがしもべの役割でした。
主人が戻ってきたときに、そういうふうに、きちんと管理していることを見られれば、主人はとても喜ぶでしょう。続けて、すべての事を任せてくれるようになるだろう、と言うわけです。
任されたものを乱用するしもべ
反対に、愚かなしもべはどんなふうにするでしょう。主人が家を任せて、旅に出ます。主人が家にいないことをいいことに、自分が主人の立場になって、好き放題にし始めるわけです。お酒を飲み、ご馳走を食べ、しもべたちをこき使って、むちでうち叩いて、理不尽なことをいっぱい。好き勝手にします。
その時に、突然主人が帰ってきて、「いったいこれはどういうことだ」となると、当然そのしもべは厳しく罰せられてしまうわけです。
主人の気持ちにそうように
このたとえ話は何を言っているかというと、与えられているものがあるだろう、それを与えた人の意向に沿うように用いる、自分に与えられているもの、任されているもの、それは与えた人、任せた人にの気持ちにふさわしいように使わなければいけない。そのことを言っているわけです。
誰にでも任されているものがある
考えてみれば、私たちの歩みの中には、多くのものが与えられています。例えば能力、たとえば時間、お金、人間関係、置かれた環境、いろんなものがですね、あなたに与えられて任されているってことになるわけです。それを与えた、任せた人の意向に沿うようにふさわしい使い方があるということですね。
人の助けになるように
ふさわしい使い方について、いろんな考え方があると思うんですけれども、自分の楽しみのためにではなくて、人の役に立つように、人の助けになるように、みんなの益になるように、そんなふうに思って使ったらいいのではないでしょうか。
自分がそれを利用して楽しんで、他の人を虐げてしまうということではなく、自分がそれを用いるときに、自分にも喜びがあるし、相手のところにも多くの祝福が及んでいく。そういう風に使ってください。それがね、いちばん私たちに与えられたふさわしい使い方だと思いますよ。
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