どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年7月7日金曜日、第110回目の放送です。
昨日に引き続いて、与えられているものの用い方について、お話します。
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2017年7月7日金曜日、第110回目の放送、お相手は中澤信幸です。
責任者でないときどう働くか
昨日イエス・キリストのたとえ話をお話ししました。主人としもべの関係でしたね。任されたものを任せた主人の意向にふさわしく用いる、そんなことを考えてみました。今日はそれと関連する話題だったので、続けてお話ししたいと思ってることをお伝えします。
Andy Stanleyというアメリカ人の牧師がいます。彼がリーダーシップについてのポッドキャストを月に1度公開しています。月のはじめの公開です。この前の話題は、2番目の人がチームをどう導くかという話題でした。つまり、責任者でない人がチームにどうやっていい影響を与えることができるか。そういう話でした。
責任者でないときこそ
責任を持っていないときは、とかく、こんなんじゃダメなのになぁと思いながら、関わってしまいがちです。けど、そうじゃないんだよ、というんですね。
考えてみれば、チームの中にはリーダーと言われる人の方が少ないわけで、フォローして従っていく人の方が多いわけです。従って行く人たちが、どんな思いで働くか、そこにチームの変化がかかっているということができるでしょう。
目的や目標を自分のものにする
責任者でないときに、どうチームに影響を与えることができるか。1つめに大切なことは、目標とか目的を自分のものにするということでした。誰かから与えられたこと、与えられた目標や目的、結果、成果と言うものですね。やらされたという感じでやり続けていては、どうしたってうまくいきません。これは自分の目標なんだ、自分の目的なんだ、これが自分の努力するところなんだ、と受け止めていくことが、とても大事になるわけですよね。
与えられたことを十二分に果たす
そして2番目のことで、当たり前のことなんですけれども、任されたこと、与えられたことを、十分に果たしていく。自分にできるかぎりのことをするってことですね。期待されたところが100であっても、120にしてそれを返すことができるんだ、ということです。そうすることによって、多くを任されるようになり、多く任されたからこそ、さらにチームに影響与えることができるようになる。そんな循環が話されていました。
何もなく、ない
そういう中で、こう問いかけてほしいんだ、と言っていました。
「こんなに限られた中でいったい何ができるだろうか」と問いかけたら、答えは決まってるわけですよね。国語とか、漢文の授業みたいですけど、こんなに限られた中でいったい何ができるだろうか、いや何もできない。答えは決まってますよね。
でも、こう問いかけて欲しいんだと言います。「与えられているもので何ができるだろうか?」私には、少なからず与えられているものがある。この手元にあるもので何ができるだろうか。そうしたら、どういうふうにしようか、と工夫する知恵が働き、どうにかしてそのことを成し遂げたいという熱意が生まれてくるでしょう。与えられているもので何ができるだろうか、これはとっても重要な問いかけになりますよね。
多く与えられたものは多く求められる
昨日のイエス・キリストのたとえ話の結びの言葉はこうでした。「多く与えられたものは多く求められ、多く任されたものは多く要求される」私は多く任されてないから関係ないんだ、って思わないで。イエス・キリストの真意は、誰にでも任されているものがある、それは自分で考えてみるよりも多くのものだ、その多く任されていること、多く与えられていることを噛み締めながら、それにふさわしい歩み、そのことがもたらすことのできる歩みを実現していくように。そういう求めですね。
私たちも多く与えられている、多く任されている、そんなふうに自分のことを考えてみたいと思います。限られた中で自分には何もない、と振る舞うのではなく、この与えられた中で、と十分なものを与えられていること前提にしながらが、一緒に歩んで行けたらなぁと思います。
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コメント
私の生年月日は、20年2月22日です。キーは2なんです。だから私は昔からNO2が好きでした。本当言うといつでもNOⅠのところに逃げ込めるからですが。最終責任者ではないということですね。しかしNO2の動き方による影響は大きいです。「与えられているもので何ができるだろうか」今日のメッセージは今後の大切な一言になりました。