ちょっとした問いかけがもたらすもの

●母の日1どこかから戻ってきたとき、
「どうでしたか?」と聞かれたら、どんな思いになりますか?

先日、高校の体育祭を見に行く機会がありました。
帰りに教会に立ち寄ると、
「どうでしたか?」と聞かれました。

そのとき、わたしは…

どうだったか、と聞かれたら?

ある人は、喜んで、あれがどうだった、こうだった、とお話しするでしょう。
もしかしたら、聞かれなくても、話しがはじまるかもしれません。
話せば話すほど、ひとつひとつのことが鮮明によみがえってきて
ますます話がはずみます。

ある人は、そうだなぁ、とじっくり思い起こして、ぽつりぽつりと話し始めます。
聞かれなければ聞けない深い話が思いがけず聞けることもあります。

またある人は、報告が事務的、ということもあります。
どこで誰がどうしてどうなった、という完璧な報告です。
自分がどう思ったか、ということは除いて客観的な報告に徹しています。

そして、ある人は「えぇ、まぁ?」といって話が終わります。
質問した側からいうと、スルーされた、という感じになるでしょう。

 

私は、たいてい、一番最後のパターンです。

何も特別に言うようなことはなかったよ、
まぁ、普通って感じかな… ということで、「えぇ、まぁ?」と。

せっかく聞いてくださった方は、気分が悪いだろうなぁ。

 

問いかけられて得られること

私のように、あまり問いかけに答える気がない人以外は、
問いかけられることは、うれしいことなのだろうと思います。

もちろん私も、答える気がないのではなくて、
どうだったかを振り返るアンテナやセンサーみたいなものがない、
というだけなのです。

で、問いかけられると、若干ですけど、そのセンサーとか、
アンテナらしきものが、芽生えてくるんですよね。

夜、寝る前とかに、あぁ今日の体育祭はどうだったんだろうな、とか、
ひとりで考えたりすることもあったりします。

今度は、日記のようにちょっと書き留めてみよう、と考えたりします。

問いかけられなければ、得られないものだな、と感謝しています。

 

「どうでしたか?」という問いかけは、
それぞれに違ったプラスをもたらすようです。

めげずに、「どうでしたか?」と聞いてもらえるわたしは、
とっても恵まれている、きょうのいい人でした。

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