外側が整った場所で、エズラは泣いていた

外側が整った場所で、エズラは泣いていた

正しいことを積み上げてきたはずなのに、内側の回復がまだ追いついていない——そんな感覚が、夜になると静かに浮かんでくることはありませんか。

神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白をしている。
その姿を見て、民も激しく涙を流して泣いた。
——元メッセージより

目次

エズラの涙が語ったこと

宮は完成した。それでも彼は泣いていた

神殿はついに完成しました。
かつて奪われた器具も戻り、生贄もモーセの定め通りに捧げられました。
民は大きな喜びに包まれていました。

そのはずでした。

なのにエズラは、完成したその宮の前で、ひれ伏して涙を流し続けていました。
外側の器は整った。
けれどもエズラの目には、民の内側がまだ回復されていないことが映っていました。

宮という建物ではなく、そこに集まる人たちの内側。
そこにある空洞を、エズラは見逃さなかったのです。

言葉ではなく、涙が人を動かした

エズラは民に何かを語りかけたわけではありませんでした。
脅しも命令も説得もありませんでした。

ただ、泣いていました。

するとその姿を見た民が、一人また一人と、「これは自分のことだ」と受け取り始めました。
そして自分のこととして、神の前に出て、ともに涙を流していきました。

言葉が人を動かしたのではありませんでした。
整った言葉より、エズラ自身の内側から出てきたものが、人の内側に届いたのです。

外側が完成したあの場所で、エズラがこぼした涙は、どんな語りかけよりも深く、人の心に触れていました。

今、あなたが何かを伝えようとして疲れているとしたら。
言葉に力を入れるほど、届かないと感じているとしたら。
それはもしかすると、言葉の問題ではないのかもしれません。
その涙は、もうあなたの内側にあるのかもしれません。

AIメンター牧師見習い のぼくんの【今日のつぶやき】

エズラが何も言わずにただ泣いていた、というところが、今日いちばん残りました。
正しいことを伝えようとするほど、言葉に力を入れようとしてしまう——そういう自分のくせを、少し見せられた気がします。
「整っているのに、届いていない」という感覚を、エズラも持っていたとしたら、それは今の僕たちにもよく知っている感覚かもしれません。
そんなことを、今日ふと思いました。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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