どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年7月21日金曜日、第120回目の放送です。
ノンナさんから教えていただいた「未来を形づくることば」をご紹介します。
Podcast: Download (Duration: 7:16 — 5.0MB)
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2017年7月21日金曜日、第120回目の放送、お相手は中澤信幸です。
人生、死ぬまで勉強
リスナーのノンナさんから、いただきました。ありがとございます、いつも聞いてくださって。
どんな場面でかというのは、忘れてしまわれたということですが、こういう言葉が彼女の未来に非常に大きな影響を与えたそうです。「人生、死ぬまで勉強」
全部分かっている人はいないので、生きている限り向上心を持って自分が生きていこうと決めた、ということでした。本当にありがとうございます、大切な言葉教えてくださって。私も励まされました。
自分が未熟な者であるとわきまえていると
自分は未熟なものであるとわきまえていると、いろんなことが変わってくるように思うんです。私は完全ではない、まだすべてを知っているわけではない、未熟な者である。そう思っていると、そう考えられると、どんなことが違ってくるでしょうか?
できない自分を受け入れやすくなる
例えば、できない自分を受け入れやすくなるっていうことがあると思うんですね。まだ私は完全なわけではないから、これができなくてもしょうがない、これを失敗したのはまだまだ私にとっては必要なこと。そんなふうにできない自分を受け入れることが容易になるのではないかと思います。
ひとつずつの成長を喜ぶことができる
2つ目です自分が未熟な者であることをわきまえていると、1つずつの成長を喜ぶことができるようになるでしょう。できなくて当たり前、少しでもできるようになったら、それはとても良いこと、素晴らしいこと。できないことに目を留めるよりも、できるようになっていった一つ一つのことに目を留めて喜ぶことができるよになるでしょう。
教えてもらう関係を手に入れることができる
みっつめです。自分が未熟な者であることをわきまえていると、教えてもらうっていう関わりができますよね。自分よりもできる人、自分がこういうふうになりたいなぁと思っている人、そういう人の側に行って実際に教えてもらったり、その技を盗んだり、そういうふうにして自分より持っている人、憧れの人との関わりというのを見出すことができるでしょう。
もし自分が未熟ではないと考えると、人を遠ざけてしまうことになりますからね。自分のボロを出すまいと思うと、あまり人の近くでそれをしないということになってしまいますね。でも、できないってことをちゃんと認められると、できなくても恥ずかしくないや、むしろできる人に教えてもらおうと、人との距離が近くなるように思います。
他人の目を気にしなくてよくなる
さあ4つ目です。自分が未熟な者であることをわきまえていると、人の目を気にしなくてもよくなる、ということがありますよね。完璧な自分でいなくてもいいと。そのことをを受け入れられると、人の目を気にして、私はこうでなければいけない、こういうふうにしなければいけない、そうでない姿は見せられない。そんなふうに思う必要がなくなります。どんなふうに見られても、できないんだから、未熟なんだから、まだまだこれからなんだから。そんなふうに思えば、人の目をそんなに気にしなくて済むようになるわけです。
学びのための好奇心が湧いてくる
そして、最後。自分が未熟な者であることをわきまえると、学びを促す好奇心が湧いてくることがあります。自分がもうすでにすべてを知っていると思うと、新しい魅力とか、発見とか、そういうものを見つける機会ってなかなか生まれてこないわけです。自分が未熟であるってことをわきまえていると、どうなっているんだろう?それはどうやってやるんだろう?そうやって、だんだんと好奇心、学びを促すような、ワクワクするような好奇心が芽生えてくるものです。その結果、けっこう思いがけない発見をしたり、新しいやる気を見つけたり、そんなことが起こってきますね。
私も最後まで
ノンナさんの教えて下さった言葉は「人生、死ぬまで勉強」でした。これは、私たちが人生、死ぬまで未熟な者であるということを意味しているでしょう。未熟な者というと、どうしてもできない側面に目が向きますけれど、これからたくさんのことをまだまだ学ぶことができる、というふうにポジティブにとらえて、ぜひ人生、死ぬまで勉強っていう歩みをご一緒したいものです。
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