どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2018年1月4日木曜日、第229回目の放送です。
不正な管理人というイエス・キリストのたとえ話を紹介します。
Podcast: Download (Duration: 7:20 — 5.0MB)
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2018年1月4日木曜日、第229回目の放送、お相手は中澤信幸です。
不正な管理人のたとえ
イエス・キリストが語ったたとえ話の中で、非常に難しいというか、どう理解していいのかわからないない、と思う管理人の話があります。今日は、それを紹介していきましょう。
この管理人は、主人の財産を任されています。ところが、その主人の財産を自分勝手に、どんどん自分のために使ってしまっているわけなんです。そのことを主人に告げ口する人がいました。主人はこの不正な管理人を呼び出します。「お前のしていることは許されない」と首にします。「財産のことを全部ちゃんと報告するように」と言ったわけです。
それで不正な管理人は、どうしたものか、と思って、考えたときに、あーそうだ、こうしよう、ということ思い付きました。主人に借りのある人たちを呼んで、その精算をします。油100バテを借りている人には、あなたの借金は50バテにしてあげよう。小麦100コルを借りている人には、あなたが借りたのは80コルにしてあげよう。そうすれば、この人たちが、自分がやめさせられた後に自分を家に呼んでよくしてくれるに違いない。そう考えたんですね。
そのことを聞いた主人は、この不正な管理人がをこうも抜け目なくやったことをほめた、とイエス・キリストのたとえ話はまとめられます。
本当に大切なものを抜け目なく
これを聞くと、じゃぁ悪いことをしてでも、仲間を増やして、そうして抜けめ無くやっていくことがいいことなの?と思ってしまいますよね。もちろん、イエス・キリストが言った意味は、不正なことをしなさいという部分にあるのではないんです。抜け目なさということを褒めているわけなんですね。
私たちが自分の歩みについて本当に頼りになるものを見つけて、それをしっかりと落ち度なく守っていることです。逆に頼りにならないものに自分の身を任せて、気がついてみたらダメになってしまっていた。そんな歩みでは本当に取り返しがつかない、心痛む歩みになってしまいます。
不正な管理人ですら、こうも抜け目無くやったわけですから、もっと本当のところに取り組んで歩みたい私たちは、同じ抜け目無さといっても、本当に頼りになるものについて、それを守り通すことの抜け目無さというか、真剣さというか、そこにかける思いを大事にしていきたいと思うんですね。
小さな飾りでごまかしてしまうのではなく
とかく私たちの周りにはいろんなものがあふれています。いろんなもので自分の身を飾ったり、自分の生活を豊かにしたり、そういう小さな満足を飾り立てて、私たちが良い気分になることがあります。でも本当に必要なものとか、本当に大切なものとか、これだけは絶対に失ってはいけないものを私たちはちゃんと捕らえられているでしょうか。そのことをないがしろにして、小さな幸せで飾り立てて、実際のところは化けの皮がはがれていくと、そういう小さなものが失われていったときに、自分は一体何を大切にしてきたんだろうか、何も残っていないじゃないか、ということにならないでしょうか。
本当に頼りになるもの、人生の軸になるもの、それを見失わないでいたい。そのために自分の歩みの時間や、労力や、自分の思いをきちんと確保しておきたいと思うんです。
新しい年の歩みが、そういう意味で1本スジの通ったものであるように。あなたが本当に大切にしたいもの、大切なもの、そこに自分の歩みを見つけていきましょうね。
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