どうも、あなたのサーバント中澤信幸です。
2018年8月3日金曜日、第380回目の放送です。
人生の交通標識の話をします。
Podcast: Download (Duration: 6:01 — 4.1MB)
助けとなる交通標識
道には、たくさんの交通標識が立てられています。職場に行くまでの間、あるいはお昼を買いに出るとき、自宅への帰り道に、交通標識に注意をしてみてください。本当にたくさんありますよ。びっくりします。
たとえば、一時停止、一度止まってから走り出しなさい。右折禁止、右に曲がってはいけませんよ。制限速度、このスピードの中で走ってください。駐車禁止、ここに車を停めてはいけませんよ。
交通標識の一つ一つが、いたるところに立てられています。私たちが歩くとき、自転車で走るとき、車で走るときの助けになってくれています。
人生の歩みを教えてくれるもの
人生に例えてみるとどうでしょう。私たちが生きていくときに、傍らに見えてくる人生の交通標識は、特別な意味を持ちます。それによって、今進むべきなのか、曲がるべきなのか、立ち止まってよいのか、分かってきます。交通標識があることによって、私が人生をどう生きればよいのか、気づかせてくれるのです。
気になる横断歩道の標識
今日、私は46歳の誕生日を迎えます。私にとって、今気にかかっている人生の交通標識が一つあります。横断歩道の標識です。横断歩道があるところに、青い標識が立っています。横断歩道がここにありますよ、横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、ちゃんと止まってください、歩行者が優先ですよ、という標識です。誰もいなければ、そのまま通り過ぎてもいいけれど、人がいたら止まる準備をしていなさい、ということですね。
誰かのために立ち止まる用意
私の生き方の中で、他の人が渡ろうとしていることを優先する用意をしているべき、と受け止めています。助けの必要な人、大事なことをしようとしている人、そういう人がいた場合に、自分自身が立ち止まって、優先したり、手助けをしたり。そういう心の用意をしておく。もちろん誰もいなければ、通り過ぎていい。でも、いたら、その人のために足を止めて、一緒に歩む用意をしていなさい。
この「いたら」というのが、曲者です。自分の中で、いくらでも、いなかったことにできるからです。人が立っていて、渡りたいと思っていても、その人の存在を目に入れないで無視して通り過ぎてしまうことができます。そうならないように、願っています。
標識を見ながら、誰かのために立ち止まる用意をしておく。そんなふうにして、皆さんのお役に立ちたいと願っています。
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コメント
お誕生日おめでとうございます。1日遅れて、申し訳ありません。
先生が「誰かのために立ち止まる用意」をしてくださっていること、感謝です。
これから何年か先の還暦祝いに、牧師の家庭で生まれ育ったクリスチャンで、牧師をされている先生の自伝を読んでみたいと思いました。